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壁の乗り越え方/さとうりゅうと著 ビブリオエッセイ


*ふみサロ用意図プレゼン
子供の頃から、周りを巻き込んだ企画を作り、行動に移すことが常でした。そうなると、人との関係、企画の失敗と壁は破っても超えても逃げても次々現れます。
それでも、数日凹みはしても大したことないさと思えてきました。
今回、改めて壁について考えてみたら、人生最大で長期にわたり立ち塞がった壁に気づいたのです。

「早すぎた人生の壁」
大正15年生まれの私の父は、戦争に招集されるも、戦地に行く前に終戦を迎えました。その後父は、実家の農業を継がず臨時教員として働きながら、本採用を目指して勉強をしていたそうです。
しかし、父の父、農業を家業にしていた祖父が、家を出て行ったため、長男だった父は、夢を諦め家業を継ぐことになりました。
のちに、父の従兄弟が町長になった際に、町長になるのは父の方だったのにと言われるぐらい優秀な人だったらしいです。
「だったらしい」、私はその頃の父を知りません。
真面目すぎた父は、42歳、私が6歳の時に、タガが外れました。めちゃくちゃおっきくです。6歳は「子供だからわからない」という歳ではありません。ことの顛末をがっつり理解できていました。
私が、「両親」という単語を抹殺し、父と母を別々な存在として受け入れた瞬間です。
私は「可哀想な子」になりました。
あの時に「両親」という単語を捨てていなかったら、私は周りの期待通りに「可哀想な子」を演じ、本当に可哀想なクズ人間になっていたような気がしてなりません。そして、向こう側に行った自分を想像すると、身震いがします。
その壁は、長く長く立ちはだかることになりました。人生最初の壁が、人生最大の壁だったおかげか、その後の56年の人生で現れた壁に、打ちひしがれることはありません。「どうにかなるさ」「なんくるないさ」「ひとりでもやるけどね」などと、自分なりの耐え方、超え方で回避や突破ができています。
だとすれば、真面目人間から破天荒人間に変貌し、人生も仕事も人脈までも、その裏側をみせてくれた父に感謝しておきましょうか。しかも、娘への愛に後ろめたさのおまけ付きなのか、田舎のお嬢様を存分にさせてもらったのですから。
まぁ、6歳にして、社会を斜に構えた見方をし、自分の心が傷つかない術を身につけた自分を褒めておきましょ。
「頑張ったね!まだまだやれるさ!」

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