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1人では何にもできないけれど、1人の時間があってこそ

私は子供の頃から1人の時間が好きでした。
人の気配がしない、人が気にならない、そんな場所や時間が好きというか、そういう時間にしが集中力が出ないのです。
小学生のころから、家族が寝静まった深夜に勉強をしていましたし、家族が屋外に仕事にでている時間が好きでした。

かと言って、いつも1人がいいかと言えばそうでもなく、誰かと一緒に何かをやるのも好きでした。

大人になり、主婦となり、子供の親になり、めんどくさいママ問題やPTA問題にも懲りること知らずでした。
ハンドメイド、その当時は一種独特の世界で、何人か集まればそこにはBOSSが存在し、なぜかターゲットになりやすかった私は、ファミレスに呼び出しをくらったり、久しぶりにランチしよーのお誘いを、そのまんまに受け止めていってみれば、ダメ出しの後のイベント主催乗っ取り話が飛び出したりと、娘に言わせたら「今時の高校生でもそんなことしないわ」という、40代にして女子高校生以下のイジメに合っていたようです。 

あー、そうか、ハンドメイドの世界も、ずいぶんキラキラがギラギラになっていたようです。

人間、長くやっていればいろんな場面に出くわすものです。

そんな、時代にも、私は1人時間に随分救われてきました。
その頃は、ドリンクバーのあるファミレスが定番になっていたし、おひとり様で遠くまで車で出掛けていました。
運転をしなくなった今では信じられないですが。

今は、週一でスタバに籠る時間を作っています。
同じ時間でも、家よりもスタバの方が集中力が沸きます。かなり、進みます。
ゾーンに入ると、両隣が入れ替わっているのにも気づかないのです。
次々と、考えが湧いてきて、それがパズルをはめるように、まるでカチカチはまる音が聞こえるように組み立っていきます。
もう、達成感?満足感?
すっきりします。

1人の時間と、チームの時間。
もう、どちらの人にも「めんどくさいやつ」には、用はない!!

だけどね、たまーに血迷ってモヤっとする方に引っ張られるんですよ。
自分を信じ切ってないんでしょうね。

後、数十年。
重ねてきた月日よりも、確実に少ないはず。
ならば、無駄な時間はまさに無駄。
自分が心地よい場所と時間を過ごしたい。
自分の夢を一つでも多く実現したい。
私のために、誰かのために。

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