代謝とか排泄みたいな文だからこれ読むくらいなら「刀ピークリスマスのテーマソング2021」を聴きに行ってくれ
「僕の素直な感想としては、『こいつ今まで何で生きてこれたんだろうな』だったんです。」
故郷のジメッとしたムラ社会的同調圧力も大概だが、就職で出てきた関西の、歯に衣着せぬ物言いがまかり通る雰囲気にもいい加減にしてくれと思うことが多々ある。
特にそれが今までの自分の認識とズレたような指摘だと、いつまでも気に病んで上手く動けなくなってしまう。
この文も職場で年明け早々「不器用だね〜」「すっごい下手くそじゃん!」と言われた怨嗟をぶつけている。
幼少期に親に言われた「手先が器用ね〜」という評価をずっと心に持っていたから、正反対のことを言われて非常に動揺した。
あんなに褒めて育ててもらったのに、それが自己肯定感の醸成には繋がらず、人様の何気ない評価でいちいち激しく自分の存在意義を問い直す最悪のジャッジメントアンプリファイアー(?)になってしまった。
つい先日アラサーの仲間入りをしたというのに、とんだアダルトチルドレンぶりである。
そんな感じで三連休初日をメソメソ過ごしてしまったが、メソメソの中で思い至ったことがある。
歯に衣着せぬ物言いが自分の認識から外れていると辛いことがしばしばあるが、逆に自分の中でなんとなく思っていること、わだかまっていることを直球で言い当ててもらえた時の爽快感はこの上ない。
あまり好ましいことではないのは重々承知しているが、自分の中の拠り所にしてしまっている。
その一つが冒頭の言葉である。
生来感情の起伏が激しく、生きづらさを抱えて過ごしてきた。
(「生きづらさを抱えている」と書くだけで自分の人格破綻ぶりを棚に上げて人々の赦しをさも当然かのように享受しようとしている醜さに気づいてしまった、でもこれってすごい自意識過剰な気がする、どう転んでもおしまいだ)
そんな中でも命からがら内定をいただくことができたが、生きづらいことには変わりはない。
新入社員研修では外部講師に突っかかるわ、人目も憚らず泣き喚くわ、配属後の研修でも教育担当と折り合いが悪くて険悪ムードを漂わすわ…
クビを切られても何も言えないくらいの最悪ムーブメントを次々と繰り出していった。
別に悪意を持って誰かを困らせようとしたわけでは決してなく、自分の苦しみに対する術を持ち合わせていなかっただけだった。
しかしこの様子では、自分でも人格破綻してるなと思わざるを得ない。
そんな中人事担当の方から面談で言われた「こいつ今まで何で生きてこれたんだろうな」は自分の苦しみに対するベストアンサーだった。
今までうわごとのように心の中で呟いていた「死にたい」という気持ちに後ろめたさを抱かなくてもいいのだと勇気づけられた。
もちろんそんなつもりで発言したわけではなく、会社で採用している性格診断の結果からそのように評価したのだろうが、普通なら死んでておかしくない葛藤を抱えていたかもしれないということが逆説的に私を励ましてくれる。
死にたくなるほど苦しいけれど、周りに迷惑だし一般的に死ぬべきではないんだからこの気持ちも間違っているんだろうと、自分の心に蓋をしてしまっていたのかもしれない。
そうした「べき論」が苦しみに輪をかけていたことに気付かされた。
自分の感じることは自分しか感じ得ないのだから、せめて正直にその感覚を受け入れよう。
それをどう表に出していくか、他の人がどう思うかは二の次だ。
…と自分の中では合点がいったものの、結局これも他者の評価に踊らされているだけかもしれない。
でも「確固たる自分自身の評価を持たねばならない」というわけでもないはずだ。
やわやわの自我と激しい苦しみを携えて、とりあえずは世を渡っていこう。
そしてこんな風に辿々しく生き地獄旅行記をしたためるのも、生き方の一つとしてアリかもしれない。
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