悲しみは夏のように

 私は先週、顔に穴を開けた。もっと正確に言うと、病院でお金を払って「ラブレット」というピアスを開けてもらった。慣れない土地へ行き、アルバイトで得た初めての給料1万円を握り締め、なるべく痛みを伴わないように開けて頂いた。 病院を去ってから暫くして、私はピアスを開ける位置がずれていたことに気が付いた。しかしこれは私がちゃんと確認せずにマーキングをしたせいだった。それに、ずれていても可愛いと思ったので気にしないことにした。

 しかし、私はラブレットの不便さを思い知った。食事がしづらいのである。口内側のキャッチが動いて仕方がない。それに、ピアスホールの顔の表面側からは組織液とおぼしき液体が常に滲んでくる。 そして極めつけは洗浄や消毒が大変面倒なのだ。これはどの部位にも当てはまるが、口内は菌が多いので余計に手を抜けないのである。私が憧れていたバンドマンは皆、このような辛さを味わっていたのかとふと感じた。

 さて、話は変わるが、私は嘘を吐いたり隠し事をするのがとても苦手である。自分自身の秘密でさえもすぐに相手に話したくなってしまうし、嘘を吐くのは「ド」がつくほど下手である。そして私は自分で言うのもなんだが、少し真面目である。 (これは後に話すが、矛盾している)

 私は嘘を吐いた。病院と両親に嘘を吐いた。未成年がピアスを開けるのには保護者の許可がいる。しかし、私の両親は耳ならまだしも、顔にピアスを開けるなど絶対に認める筈がないような人々なのだ。だから当然、黙って開けた。病院には「保護者の許可を得た」と言った。(これに関しては一応嘘ではない) そして、両親にはピアスを開けたことを事前にも事後にも伝えなかった。事前に伝えてしまえば、当たり前だが許可がおりない。事後報告をしても、怒られてしまう。だから私は隠すことを選んだ。

 しかし、隠すのは簡単ではない。まず、私のピアスホールはまだ安定していない。故に、ファーストピアスを外すことが出来ない。もし今外してしまったら、ピアスホールが塞がってしまう。そうすると、また開け直さなければいけなくなる。それは嫌だった。また遠くへ行き、学生の私には決して安くない金額で開けてもらうことは当分不可能だ。「なら自分で開けたら?」と思う方もいるかもしれない。確かにそうだ。しかし、私は痛みに弱い。自力で針を貫通させることはきっと出来ない。躊躇しながら開けるのが最悪な状態であろう。「だったらどうして開けたの?」という疑問が浮かぶだろう。理由は単純、「開けたかったから」である。もっと別のタイミングがあったとは確かに思う。しかし、このタイミングを逃し続けたら、きっと一生開けないだろう。開けなくてもいいのかもしれない。しかし、“今” の私は開けたいと望んだのだ。

 「このタイミング」というのは、帰省の一週間前であった。本当にどうしてこのときに開けてしまったのだろう。私もそう思い始めた。しかし予約がこの日にしか取れなかったのである。「帰ってきてからでも良かったのではないか」……確かに。これには何も言えない。そして私が夏を悲しく感じる理由はこれか。これなのか。底知れぬ孤独感と怒号。後悔を背負いたくないがために嘘を吐いた日。否定されるのが怖かった。

 今でも少し迷っている。隠し方も適当、少しでも隠しやすくなるようなアイテムも探したが見つからない始末である。今の隠し方だと、隠さずに晒すより物理的に不便になってしまう。いっそのこと、言ってしまった方が楽なのだろうか。しかし、残りの時間を親族との蟠りで埋めたくないのである。それでも、自分の選択に悔いはない。

 それにしても、私は大変愚かである。明日からどうやって過ごそうか。


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