それ、本当にダイマですか?
特にマーケティング関連の記事ではないです。いうなれば愚痴や疑問のようなもの。
ダイマという言葉をよく聞く。
ダイレクトにマーケティングすること。
誰にどのようにというよりかは、好きなものや好きなことを不特定多数に向かって大声で叫ぶような感覚に近いのではないかと私は思っていた。
しかし世の中にはそうでないダイマも存在していたらしい。
友人はそれをダイマだと言った。
会話の途中でそれに関するキーワードや事象を見つければ例え会話が途中であってもダイマしたい話が突然始まる。
ここぞとばかりに始まる。
時には全く違う話のメッセージの合間にそれに関する画像を複数枚挟んでくる。
こちらがついて来れているか、話の流れ的にそれに興味を持てるか、私が興味を示しているかは友人には関係ない。
自分がダイマをすればきっと話に乗ってくるだろうと思っているのだと思う。
しかし私はダイマをされているそれが以前から苦手だった。
嫌いとまではいかなかったが苦手だった。
最初、苦手ながらも友人が楽しそうなのでとりあえず話を聞いたが、それが良くなかったのだろう。興味があるようなそぶりはしていなかったと思う。
会話の途中で突然始まるダイマの回数が重なるにつれ、私はそれに明らかに辟易していた。
苦手は、嫌いに変化していった。
友人と会話をするたび、またダイマが始まるのではないかという暗澹とした気持ちが、思考の隅で燻っていた。
あれらが私にとって、ダイマではなく最悪な形とタイミングのただの押し付けだったことは間違いない。
ダイマしますを個人に向けてやっている人はどうか一度、自分のやり方や相手の反応を振り返ってほしい。
そしてよく考えてみてほしいと思う。
それ、ただの押し付けになっていませんか?
ある日、ついにそれに耐えきれなくなった私は友人にオブラートに何重にも包んでそのことを打ち明けた。
友人は、私がそれをそんなにも嫌がっていたことに、やはり微塵も気づいていなかった。
私に嫌な思いをさせていたことがとてもショックだといって、友人からの連絡は随分と減ってしまった。
正直、そういう対応をされると結局ダイマをするために今までの他の会話も全てあって、それを受け入れない私はもう友人としてそこまで会話する価値はないと言われているような気がしてしまう。
友人が本当のところどう思っているかはわからないが。
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