お賃金は欲しいけれども

組織に所属し労働していると、契約に応じた賃金が発生する(ということになっている。実際にその通りに回っているかといえばそうとも言い切れないニュースがたくさんあるが)

少し前の記事にも書いたが、その賃金によって私は私の生活を充実させ、社会的な納税の義務を果たして暮らしている。

お金は大事なのだ。生きていくために。

しかし困ったことに、その生活の根幹を担うお金が支払われる給料日が嬉しくないのだ。

普通に考えれば嬉しいだろう。だって労働に応じた賃金が入るのだ。それは労働の目に見える一つの形であり、今月も自分の生活がうまく回るであろうというちょっと懐が暖かくおおきな気持ちになる日のはずだ。
ちょっと自分へのご褒美を買ったりする日のはずだ。

しかし。
給料明細をもらい、その中身を改めた私が最初に思ったのは、煩わしい、という感情が一番近い。
もちろん給料が出たことによって私は空っぽの冷蔵庫の中身を充実させ、まだこの時期頼らざるを得ない灯油を購入し、くたびれた衣類を買い直し、本や雑誌を買うだろう。
しかし嬉しくない。
労働の対価である給料に対して重苦しい気持ちしか湧いてこない。
自分の労働に対する評価について不満なわけではない。それを言ってしまったら、そもそも正しい評価など本当に存在するのかという話になってしまうと思う。

この煩わしさはなんなのか。
仕事中にじっくり考えた。
もちろん仕事に集中などしていない。

仕事に真剣に打ち込んでいないからだろうかと思った。
しかし前職で、私はとても真剣に仕事に打ち込んでいた。
今よりもっと低い給料で、正社員ではないのに、正社員並みに働いていた。その仕事が好きだったから。
しかし給料日は憂鬱だった。いくら残業をしても、投げ銭のような手当てで重い責任の立場に立たされた時も、給料は上がらず仕事は多かった。
私の労働に価値はない。
給与明細を見る日にそう言われているような気がしていた。

今はどうだろうかと思う。

今の仕事は休みが少ない。
これから四月に入ると、20連勤が当たり前になる。
他の月でも休みは月6日ほどで、有給や代休を取ると皆影で上司に色々言われているのを知っている。(しかしその上司も早退や有給、代休を取るのだ)
経営者は更にこちらが休むことを愚痴る。しかもそれを隠す気があるのかないのかわからない。(しかし経営者は現場には出たい時にしか出てこず定時後に出てきて定時前に帰る)
長く会社にいる人ほど、他者に寛容ではない職場だ。
給料は前職よりはいい。
しかし隠す気の無い陰口や批判を聞いていると、労働者の横っ面を札束でひっぱたくようなやり方だと感じてしまうことが多々あった。


毒の沼で札束で横っ面をひっぱたかれ、ボロボロになって家に帰る。休みはない。

批判している上司も大変なのは知っている。
私よりもずっと遅くまで残業し、経営者の現場を見ない言動にイライラさせられている。
その周囲ももちろんイライラし、そのイライラに下の人間がビクビクして過ごしている。

精神衛生も労働環境もいいとは言えない。
そんな環境でもらう給料だからだろうか。

実は今月、給料が少し上がっていた。
この上がった給料分、また精神衛生と労働環境が悪化するのかと思うと、今月もまた、給料日を喜ぶことはできなかった。

#日々

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