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凧、ハウリング、百葉箱、7/26、

西ウチ子さんから展示の企画を持ち掛けられたとき、やまゆり園事件に対して何らかの反応がしたいということを聞かされた。7月26日を含む週にちょうどリトモスに空きがあり、それ以外が埋まっていることも決定的だった。

やまゆり園慰霊碑

写真は3月にやまゆり園の慰霊碑を訪れたときのもの。先客の献花があった。描かれている山百合の花は18本。「事件をきれいに終わらせたくない」という遺族の申し出により、犠牲者の数より1本少なくなっている。

「凧、ハウリング、百葉箱、」というタイトル に決まってから、展示に向けた作品を作り始め た。ハウリングは、一度マイクで拾った音がス ピーカで増幅され、それをまたマイクで拾うと いう拡声のループによって起きる。何もしなけ れば消えてしまう声や音がハウリングとして、 不思議で時に不快な音として耳に残る。消えや すい私たちとその声をそんな風に詠んでみたい と思った。

やまゆり園事件の被害者の名は一人を除いて報道されていない。それは遺族の意向だという。遺族に弔うべき家族の名を伏せさせ続け「意向」だと言わせ続けているのは何か。
被害者の匿名発表の方針を決めた県警幹部の「この国に、被害者を受け入れる寛容さはあるか。悔しいが、ないだろう。」(『やまゆり園事件』P163)という発言には根強い差別への諦念がにじむ。

三十三億円を超える被害者(葬儀後全員が実名報道された)への義援金が集まり、税制上の特別な優遇が講じられた「京都アニメーション放火殺人事件」と比べると、世間の反応の違いは明らかである。

植松聖は何ら特殊ではない、植松聖の価値観を「植松聖的」とは私は呼ばない。むしろ、それらはこの社会が元から持ち続けていたものに他ならない。
この空気の中、やまゆり園の慰霊碑には十九名の被害者の内、七名の実名が刻まれている。この意味を考えないわけにはいかないし、この空気をこのままにしておけるわけがない。(西川火尖)

息づきのもう山百合のハウリング  火尖


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