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Banality of Evil

ユダヤ人の大量虐殺という"ホロコースト"はなぜ起こったのでしょうか?600万人もの命が短期間に人の手によって失われたという事実。「エルサレムのアイヒマン」という書籍の著者である哲学者ハンナ・アーレントは「官僚制度」の特徴である"過度な分業体制"に原因があると分析しています。

独裁者ヒトラーが諸悪の根源だった!としても、実際に刑を執行したのはヒトラーではなく一般の市民だった訳です。この人達に自制心や良心の呵責はなかったのか?と疑問に思うのが普通ですが、この"良心の呵責"を起こさないためのシステムが「過度な分業」であり"作業をできる限り分断し責任の所在を曖昧にすること"だとアーレントは指摘しています。作業者は皆、私は〇〇をしただけ、皆がやるので反対できなかった、悪いのは私ではない、などなど。誰も"まさか自分に責任があった"とは考えない。なぜならこれは、自分に責任を感じずに淡々と刑を執行できることを目的として作られた"システム"だからです。

なお、このアーレントの書籍には"悪の陳腐さについての報告"という副題がついています。システムを構築したアドルフ・アイヒマンは冷徹な極悪人ではなく、小柄で気の弱そうな普通の人、上司の命令に"御意"と反応するイエスマンでした。陳腐とは"ありふれてつまらないもの"という意味です。つまり"システムを無批判に受け入れるという悪"は、"システムを意識しないことによって、気づかないうちに誰もが悪事に加担してしまう可能性がある"ということです。

現在のように分業がスタンダードになっている社会では、私たちは悪事をなしているという自覚すら曖昧なままに、巨大な悪事に手を染めることになりかねません。多くの企業で行われている隠蔽や偽装は、そのような分業によってこそ可能になっていると、山口周さんは著書「武器になる哲学」の中で指摘されています。

では「分業をやめれば解決するのか?」というと、そうではありません。問題の原因は結果の裏返しではなく、もっと深く、問題の構造・メカニズムを読み解いていかないと、問題はまた繰り返されることになります。

「どうしたら解決するのか?」の前に、そもそも"第一ボタンからかけ間違えていないのか?"を自問自答する必要があります。問題の捉え方・解決に導く考え方自体を"ゼロから見つめ直す"ことが、解決への近道になると確信しています。

[2021.10.26投稿]いいね:42


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