夢と向き合うために向き合う現実


一応、かつて僕にも夢があった。

9歳で音楽を好きになって、14歳でアイドルに興味を持ち、そこから10年。
気づけば24歳になり、周りの友人やかつての同級生達は恋人を作る人や、所帯を持つ人や、命を授かって人の親になった人もいる。

18歳で大学に入学した頃、ささやかながら僕にも夢はあった。
夢に向かって努力する人を応援していく中で、憧れを持ち、夢を追いかける人と一緒に、夢を追いかけたいと考えていた。

その夢は、まあ別に叶うどころか特段これといったチャンスやきっかけ等も無いまま、例に漏れず「就活」という2文字に追い立てられ、何事も無かったように去っていった。
と、言うよりは、当時の僕に夢だとか目標だとかを追いかける余裕など全くもって無く、「大学生」として生きていくための労働に勤しみ、一般的な生きていくための生活を続け、その中で推しを応援していく日々の中で、僕の「好き」を好きなだけ続けていく余裕は無かった。


そうしていく中で、「叶わなかった、なりたかった自分の姿」の代わりに、「叶えたい、なりたい誰かの姿」を応援することで、自分の気持ちに折り合いをつけるようになった。
つまるところ、今の僕の原動力は、推しの夢や目標、幸せなのだ。


なりたい姿、立ちたいステージ、叶えたい夢。

形は様々といえど、推しの夢は常に僕の努力する理由であった。

紅白歌合戦や国立競技場のような大きな箱を目指したこともあった。
メジャーデビュー、全国ツアーといった現実的な目標もあった。
研究生から昇格したいという、スタートラインに立つための目標もあった。

目標に大小あれど、その姿は常に輝いていたから、僕はその背中を押すことを幸せだと感じた。


夢を追いかけ続けることが常に正解かは分からない。
夢を追いかけ続けて、叶わないながらも幸せな人もいる。
僕は夢を追いかけることをやめて、社会の歯車になることを選んでいるけど、今の自分の人生を間違っているとは思わないし、夢を追いかけることさえできなかった自分の人生を、決して不幸だとは思っていない。

でも、やはり、追いかけることがもしできたのであれば、きっと追いかけていたと思う。

だから、追いかけられる夢なら、やはり追いかけていて欲しい。
叶えたい目標があるなら、それを応援したい。

なりたい自分になるために努力する姿こそ、1番輝く姿だと僕は思うし、推しの夢や目標は同時に僕の夢や目標でもあるのだから。


辛さや苦しみを分け合うことはできないし、道中で遭遇する葛藤や悩みも僕が代わりに背負うことはできない。
現実は随分と冷たいものだから、綺麗事ばかり並べて、僕も背負うだなんて口が裂けても言えない。僕が共感できる範囲などあまりにも微々たるものだから。
僕ができるのは精々応援することだけ。
あまりにも無力だし、大した力にはなれないかもしれないけど、僕はその応援に全てをかけたい。
できることの種類が少ないのなら、そのひとつひとつを密度の濃いものにしたい。



そうした先で、大切な人が笑ってくれていれば、そんなにも幸せなことはない。
ただ、僕はその過程で大切な人を支えていたい。力になりたい。しんどいなと感じた時に弱音を吐いて、もう一度頑張ろうって思える存在でありたい。


大丈夫、きっと上手くいく。
上手くいかなくたって、僕はどうせいるし。

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