【深い社会】13 衝撃!わたしの研究は間違っているのか。
社会科について研究するセミナーのはずなのに、なぜ私は道徳について情報発信しているのでしょう。
そこには衝撃的事実がありました。
明治時代、様々な工夫が積み重ねられ近代的教育が作られていました
https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318010.htm
明治14年の教科編成を見ると、社会科は、初めから歴史・地理に分けて教えられていたことがわかります。
道徳教育としては修身科として教えられていました。
江戸時代は漢学国学の中で、道徳教育を行っていました。
しかし、新しい政治の仕組みを浸透させるためには
古い慣習的な考え方を打破する必要があります。
そのため、意外なことに、この時の修身の教科書はすべて、
欧米の「モラルサイエンス」に関する書籍の翻訳本でした。
ところが、明治中期になり、文明開化の熱が冷めてくると、
日本文化の価値の再検討がされます。
道徳教育としての漢学国学との融合が図られ、新しい教科書が作られます。
戦後批判を受けた修身の教科系統はこの時に作られています。
同時期に教育勅語も作られています。
教育勅語と言えば、いまだに誤解を受けていますね。
一部を現代語訳して箇条書きしてみましょう。
汝臣民は
①父母に孝行をつくし
②兄弟姉妹仲よくし
③夫婦互に睦むつび合い
④朋友互に信義を以って交り
⑤へりくだって気随気儘きずいきままの振舞いをせず
⑥人々に対して慈愛を及すやうにし
⑦学問を修め業務を習つて知識才能を養ひ
⑧善良有為の人物となり
⑨進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし
⑩常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し
⑪万一危急の大事が起つたならば、大義に基づいて勇気をふるひ一身を捧げて皇室国家の為につくせ。
そのまま、現在の道徳の価値項目です。
⑪は、平和主義の現在、違和感があります。
でも、私たち公務員の服務規程を見てください。
服務の根本基準(第30条)
「すべて職員は、全体の奉仕者として公共の利益のために勤務し、
且つ、職務の遂行に当たっては、
全力を挙げてこれに専念しなければならない。 」
ね。同じことが書いてありますよ。
作られた発想自体はカントの定言命法です。
カントが主張した、「道徳基準は外にある」という定言命法の根拠を、神や普遍性から、国体に求めただけです。
道徳的価値を明確にして、子どもに示す機能しかありません。
毎日教育勅語を唱えても、道徳観は手に入らず戦争をしたのですから、それ自体は意味がないのです。大切なのはどう運用するかです。
(ちなみに、私個人としては、つまらない道徳の授業をすることは、毎日教育勅語を唱えるのと同じだと思っています。)
さて、このように、歴史・地理・修身に分かれていた教科編成を、戦後統一してできたのが「社会科」です。
GHQは、日本が戦争をしたのはこのような国体を道徳の判断基準にした教育のせいだと思ったようです。
修身をやめ、デューイが始めた、子どもの生活に根差した問題解決型の学習「社会科」をしていけば、自然に道徳的判断ができるようになると考えたのです。
戦後の指導要録の項目について
国立教育政策研究所のレポートを見てみましょう。
https://www.nier.go.jp/kiso/sisitu/siryou1/2-05.pdf
昭和23年は、まだ名称が学籍簿です。
当時の評価観点が、
・理解
・態度
・技能
ところが昭和30年指導要録になると、
・社会的な関心
・思考
・知識・技能
・道徳的な判断
気付きました?
判断とは「道徳的な判断」のことなのです!
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