【深い社会】14 悪口言ってきたから叩いていいか。
「先生、Oさんに叩かれました!」
「Oさんおいで。叩いちゃったの?」
「うん。だって、あいつが悪口言ってきたから・・」
そのあと、Oさんは言います。
「お父さんが、やられたらやり返せって言ってたもん。」
・・・絶句。
何度か、そんなことを経験しました。
我が子を守りたいお父さんの気持ちも分かります。
わかるんですけどね・・・
この「目には目を」と言う考え方は、かなり古くからある価値観です。
遠くメソポタミヤの石板からも、同じ考え方が書かれているようです。
さて、みなさんはOさんにどのような言葉かけをしますか。
ジョン・スチュアート・ミルのアイデア
「価値観には質の違いがある」
は極めて大事な視点です。
倫理学の世界で、様々な価値観の分析がされてきました。
カントの「義務論」とベンサム「功利主義」の運用もその1つです。
これ、私の情報発信を見てきた方は分かるかもしれませんが
カントとベンサムは必ずしも葛藤してないんです。
カントは「物の認識」から道徳問題に迫ろうとし、
ベンサムは「量」で道徳問題を解決しようとしただけなんです。
ところが、以降一部の学者たちは二人の成果を二つの価値観に置き換え、
勝手に葛藤して争っています。
トロッコ問題もその一つです。
問題解決学習のデューイは、これらの争いをあまり意味のないものとしました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A4
「結局、義務論も功利主義も共通して、抽象的である。」
「義務論も、功利主義も、『個人』の問題を重視しているが
そもそも私たちは、人間関係の中で判断しているのだから、
切り離して考えることなどできない。」
そこで、デューイは価値観を3つに分けました。
「慣習以前のもの」・・・快か不快か
「慣習によるもの」・・・正しいものとされているものが正しい
「自律的なもの」・・・私自身が正しいと確信する
非常に実際的な分け方です。
実は、私がこのような価値分類に触れたのが
大学時代の明石要一先生でした。
明石先生は、
「低学年の児童は、快か不快で考えます。
中学年は、損か得。
高学年は、正義か悪か。
子どもに話すときにそのような視点をもって話すと上手くいきます。」
とおっしゃっていました。
きちんと理論に根差した考えだったんですね。
では、Oさんに声をかけましょう。
この場合、Oさんはお父さんの「慣習によるもの」を根拠としています。
ですので、同じ「慣習によるもの」で対応してみましょう。
「Oさんが、悪口を言われて嫌だったのは分かる。
お父さんがやられたらやり返せといったのも正しい。」
「でも悪口と暴力は同じかな。
裁判所では暴力の方が悪口よりいけないこととしているよ。
だから、暴力から悪口引いた分だけ、ごめんなさいしようか。」
これで納得してもらえますかね。
ん~、だめな気がする。
ダメ押しで「慣習以前のもの」も付け加えましょう。
「もしも、相手の子が家に帰って、Oさんに叩かれた、と言ったらどうなると思う。
相手の親が出てきて、校長室にOさんとお父さんが呼び出されて、
教育委員会も出てきて、みんなに責められちゃうかもしれないな。」
「そうなりたい?」「やだ」
「じゃ、ごめんなさいしようか。」
こっちの方が実際的な気がします。
教育委員会ごめんなさい。
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