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【深い社会】12 ガンガンいこうぜ?いのちはだいじに?

ドラゴンクエスト4でAIが搭載された時、それは衝撃的でした。
コンピュータが自分で考えて行動する。
しかも、使えば使うほど成長するというのです。

ゲームの醍醐味は、様々な選択ができ、かつその効用がすぐに返ってくること。
その選択をAIにさせて面白さは失われないだろうか。

ところが、これが面白い。
全ての行動をプレイヤーが決めるわけではなくなったので、
行動の方針を決め、AIに伝えなくてはなりません。
つまり、相手に道徳的判断基準を与える必要があります。
そこで、作戦コマンドを設定します。

「ガンガンいこうぜ」・・・MPを渋らずとにかく敵に大ダメージ。
「みんながんばれ」・・・平均的な行動を取る。
「じゅもんをつかうな」・・・MPを温存したいときに。
「いのちをだいじに」・・・HPが減らないように、回復・補助呪文を使う。

まさしく価値判断を教えているわけです。

では、このコマンドで最も重視するものはどれですか。
それは「いのちをだいじに」です。
何より生命を守ることは大切だ、と私たちは心に刻んでいます。

もっとも利用されているものはどれですか。
それは圧倒的に、「みんながんばれ」です。
私たちの中には「バランスよく生きよ」という定言命法が生きています。

それならば、
「いのちをだいじに」「みんながんばれ」
どちらが優れているのでしょう。

カントの義務論によれば、「いのちをだいじに」
ベンサムの功利主義によれば「みんながんばれ」
でしょうか。

功利主義を打ち立てたベンサムには友人ジェームズ・ミルがいました。
ジェームズには、息子がいました。ジョン・スチュアート・ミルです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%81%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%AB
彼はベンサムと同じ哲学者・法学者になります。
ベンサムとミルは師弟関係に当たります。

ミルは、カントの義務論に疑問を呈します。
「『普遍性』など、自分の生活の外に道徳的な判断基準を求めることは意味がない。あくまで、人と人との関係において判断基準を置くべきではないか。」

しかし、ベンサムの功利主義にも修正するべき点があることを認めます。
「すべての価値を1として計算することには無理がある。
価値の中にはたしかに質の違いが存在する。」

そこで、ミルは、道徳を形式的に説明したカントの義務論と、
価値判断を量で解決するベンサムの功利主義を結び付けて、
新しい価値基準を作ろうとしました。
功利修正主義です。

「二つの価値があるとして、両方のよさを経験した者みんなが、
理屈抜きで選んだ価値が質の高い価値だ。」

つまり、カントの「普遍性」を「人と人との関係」に置き換えたわけです。

このように、哲学者たちは、様々な判断基準を、様々な見地、時代の変化から
批判し合って探り合っています。
一つの考えが生まれたら、必ず別のぶつかりあう考えの存在に気付きます。
みんなで批判し合って検討し合って、新しいアイデアが生まれる。
このような思考法を弁証法と言います。

でも、ちょっと待って。
バランスも大事、いのちも大事、両方わかってるのに、
ときどき必要もなく「ガンガンいこうぜ」を選ぶ私は何?

よし、みなさん、今日も学校で「ガンガンいこうぜ」

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