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【霧島市】こども・くらし相談センターの立ち上げ

基幹相談支援センターの立ち上げをした次の平成31年度のこと。

これまで、通算13年以上、保健福祉業務に携わった私。
 すこやか保健センター、家庭児童相談室、こども発達サポートセンター、地域包括支援センター、基幹相談支援センター、成年後見センターといった色々な相談機関とのやりとりを重ねて、色々な現場を見聞きしてきました。
 その中で、部署間の連携が課題となることが時々ありました。そしてそれは大抵難しい家庭の支援の時に起こりました。
 例えば、認知症の父母と同居する精神障害が疑われる母が発達障害の子を育児放棄している。どこから入っていけばいいのかわからない。問題を発見したところがそのまま任され、他の機関は積極的に関わらない。そういうこともありました。そういうことが起こらないようにするためにはどうすればいいか。

 市役所では年度頭に期首面談というものがあります。そこで、今年の目標、取り組みたいことなどを上司と話し合います。私は課長に言いました。
「長寿・障害福祉課の業務とは直接関係がないのですが、私はいろんな相談を一箇所で受け止める部署を作りたいです。本来の業務に穴は開けませんので、今年度取り組んでもいいですか?」
課長はすぐに「私もそれは必要だと思うから、いいよ。やってみてごらん」と言ってくれました。

 課長のOKは出たものの、組織として取り組むために、「まずは関係部署での話し合いをして良いか?」という起案書を作成し、部長のOKを貰いました。(勝手に私の音頭で話し合いを始めるわけにもいかないので)あわせて、企画課にもこういう話し合いをするということを起案書を回して伝えました。
 
 そうして、保健福祉部のほとんどを巻き込んだ話し合いが始まりました。
 保健福祉政策課、生活福祉課、子育て支援課、長寿・障害福祉課、健康増進課、すこやか保健センター、こども発達サポートセンター、学校教育課、商工振興課、社会福祉協議会、地域包括支援センター、基幹相談支援センター、成年後見センターの合計13の部署、関係機関を集め流こととしました。一箇所ずつ話に行き、協力を依頼しました。

いずれも快諾してくれました。
それは、私がそれぞれの仕事に関わり、アドバイスし、助け、汗をかき、その部署の人たちと信頼関係を築いていたからと思っています。

 6月から8月まで月2回のハイペースで話し合いを重ねました。薩摩川内市や姶良市へ視察も行きました。
 私の計画では、9月末までの半年で、4月からこの相談部署を立ち上げることのGOサインを貰い、残り半年で、業務の調整を行うつもりだったので、8月中に話し合いを終えました。
 「霧島市の福祉のために、いろんな相談を一箇所で受け止める部署が必要だ」との結論を20ページの報告書としてまとめ、部長に提出。部長の了解を経て、市長と副市長に報告することとなりました。

 9月25日、市長と副市長に報告しました。しかし、ほとんどリアクションがありません。不思議に思いながら、自席に戻ると同僚が暗い顔で
「秋丸さん、10月1日付で税務課に異動の内示が出てます・・・」

 ここまで、一緒に協議を重ねてくれた仲間たちの落胆は物凄いものがありました。
「福祉のことをやる気はないのか」
「もう、絶対にこういう組織はできない」

 私は、ここまで協力をしてくれた、この仲間の思いを無駄にはしたくありませんでした。
 税務課に異動になった10月以降も、税務課の仕事をやりながら、残って福祉の仕事をしました。そして、福祉にいる信頼できる人間に、今後の進め方を指南し、どうか実現できるようお願いしました。彼は、その期待に応えてくれました。年明けに4月設置に決定したとの報告があり、「ああ、無駄にならなくてよかった」と安堵しました。しかし、ここまで時間がかかりすぎたのと、話し合いの核であった私が抜けたため、その後の事務調整がうまく行きませんでした。

 結果的に当初の目標通り、令和2年4月に「こども・くらし相談センター」は開設されました。
 ちょうどコロナ禍と重なり、生活困窮の相談が激増したようですが、生活困窮者支援担当を2人から4人に増やしておけたため、何とか対応することができたようです。こども・くらし相談センターができていなければ、担当は2人のままであっという間にパンクしていたでしょう。
 しかし、一方で、事務調整の遅れから混乱を招き、職員(非正規)が何人も辞めてしまいました。

 退職してから、お話した方の中で、こども・くらし相談センターができて本当によかったと言ってくださる方が、何人もいらっしゃいました。センターの職員が頑張ってくれているから、そういう言葉が聞けるんだと感じました。しかし、大変忙しい状況にあるとも聞いています。もっと、体制を強化する必要がある、そう感じています。


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ここまで、自分が取り組んできたこと、何を考えていたかをまとめてきました。

正直に言えば、こういう自画自賛を書かなければならないというのは、恥ずかしいことです。
しかし、今の立場からすれば、少しでも私の思いを知っていただくために、やむを得ず書いてきました。
そして、同じように色々市民のことを考えながらも、チャレンジできなかった職員もたくさんいます。
できない理由は色々です。
表現できなかった。上司に恵まれなかった。等々
組織のトップというのは、組織にいる人間の力をどう引き出すかが仕事です。
そうすることで、組織自体が強く、力を発揮できます。

市政を変えるというのは、組織を変えるということです。
市民のために組織を変えたいと思う職員はたくさんいます。
私は、職員時代ずっと、そういう人たちの味方であり続けたつもりです。
けれども、諦めてしまった人もいます。折れてしまった人もいます。

コロナが起こって、このままでは本当にいけないと思いました。
世の中は変わるのに、変われない、変わろうとしない。
なんのために市政はあるのか。

自分は、諦めたくなかったので、市役所を退職し挑戦しています。

どうか、この挑戦を応援してください。
お知り合いに広げてください。

秋丸健一郎 拝

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