1913年9月4日田中正造没

 田中 正造(たなか しょうぞう、1841年12月15日生まれ)は、日本の幕末から明治時代にかけての社会運動家、政治家。日本初の公害事件と言われる足尾鉱毒事件※にとりくみ、明治天皇に直訴しようとしたことで有名。直訴後も政府に対する救済運動を村民とともに生涯続けました。衆議院議員選挙に当選6回。下野国安蘇郡小中村(現・栃木県佐野市小中町)出身。1913年9月4日死去。10月12日に佐野町(現・佐野市)惣宗寺で本葬が行われました。参列者は一説に30万人ともいわれます。(写真は、惣宗寺の正造の墓)
 被害地では現代でも偉人として尊崇されており、佐野市郷土博物館が関連資料を保存・展示しています。田中正造研究を行う市民団体も複数ありますが、渡良瀬川研究会(群馬県館林市)や田中正造大学(栃木県佐野市)のように高齢化や後継者不足のため活動を終了した団体もあります。#今日は何の日 2024.9.4

※足尾鉱毒事件:明治初期、栃木県足尾町での「富国強兵策」にもとづく大規模な銅山採掘によって、発生した亜硫酸ガス、鉱さいで周辺の山林が枯れ、洪水や農地の汚染が渡良瀬川流域で発生。反対運動が広がりましたが、明治政府により弾圧されました。