2014年7月11日木村万平没

2014年7月11日木村万平没
 木村 万平(きむら まんぺい、1924年生まれ)は、日本の社会科教師、教育者、市民活動家です。大韓帝国・京城府(現在の大韓民国・ソウル特別市)出身。1944年9月大阪外事専門学校(現在の大阪外語大学)インド科を卒業。1949年3月 京都大学文学部哲学科を卒業します。1949年4月 京都市立中学校に勤務を開始、社会科教師やのちに教頭を務めます。
 1952年8月15日中学校女生徒および同PTAの出演協力を得て、映画製作会社ラジオ映画(東京都目黒区)が製作したドキュメンタリー映画『思春期の女生徒たち』を監督、同日に完成します。1981年~1984年京都市教育研究所の次長を務めました。
 1984年11月14日 『朝日新聞』朝刊の「声」欄に「アジア軽侮の諭吉なぜ札に」を投稿して新1万円札の肖像に福澤諭吉が選ばれたことに反対しました。※
 1989年8月 京都市長選挙に日本共産党推薦の革新無党派として立候補し、田邊朋之に321票差で敗れます。1990年4月 京都府知事選挙に日本共産党推薦の候補として出馬し、現職の荒巻禎一に敗れます。2014年7月11日 老衰のため死去。#今日は何の日 2024.7.11

※朝日新聞に投稿した木村氏の投稿
「新一万円札の福沢諭吉が一級の文化人であり、文明開化や日本の民主主義の開拓者として功績があったことは、だれも否定しない。しかし、アジアに対して強硬な侵略的国権論者であったことも、よく知られている。ことあるごとに『時事新報』などに侵略的言辞を載せた。(中略)1885年の『時事新報』に有名な『脱亜論』を載せ、日本は『西洋の文明国と進退を共にし』、中国・朝鮮に対して『西洋人が之に接するの風に従って処分すべきのみ』と述べた。
 最高額のお札になぜ福沢の肖像が選ばれたのか。関係者の国際感覚の欠如は理解に苦しむ。私は新札の廃止を切望する。」
— 木村万平 “アジア軽侮の諭吉なぜ札に”―
 2024年7月3日に新紙幣が発行されました。1万円札は福沢諭吉から渋沢栄一に変わりました。タイミングの良いことから、紹介させていただきました。新しい一万円札の人物に対しても、木村さんのように、私たちは、光の部分だけでなく、影の部分も冷静に分析していくべきではないかと思います。

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