1912年7月4日佐藤忠良生まれる

1912年7月4日佐藤忠良生まれる
佐藤忠良(さとう ちゅうりょう、 2011年3月30日没)は、日本の彫刻家。新制作協会彫刻部創立会員。
 作品は、生き生きとした女性像などをブロンズや木彫で表現が特徴的です。絵本『おおきなかぶ』の挿絵なども手がけたそうです。出身地にある宮城県美術館には、「佐藤忠良記念館」が併設、日本で最も多い約600点の彫刻作品を収蔵してあります。その他、滋賀県の佐川美術館の佐藤忠良記念館、札幌芸術の森「佐藤忠良記念子どもアトリエ」、国立近代美術館、国立国際美術館など、日本全国各地に佐藤忠良の作品が収蔵・展示されています。
 1912年、宮城県黒川郡大和町落合舞野に生まれます。1934年、東京美術学校彫刻科入学。1939年、美校卒業後、同期の舟越保武らと共に新制作派協会彫刻部の創設に参加します。1945年から1948年までシベリア抑留にあいます。(その後、数々の作品賞を受賞します)1990年、宮城県美術館内に佐藤忠良記念館設立。2011年3月30日、老衰のため東京都杉並区永福の自宅で死去。98歳没。
 日本芸術院会員に推薦され、文化功労者や文化勲章の候補にも選ばれましたが、本人は「職人に勲章は要りませんから」と語り、国家の賞を全て辞退しました。
 宮城県仙台市には、宮城県美術館と、併設された佐藤忠良記念館があります。後で知ったのですが、この施設は、過去、存続の危機があったようです。2019年11月16日、「河北新報」朝刊の第1面に、県民会館と美術館を集約して新たに、駅の東側に新築する「東北最大の芸術文化拠点」構想が発表されました。宮城県美術館は、建設後、まだ40年しか経っていない、佐藤忠良記念館に至っては、まだ30年でした。美術家をはじめ多くの市民が立ち上がりました。県の理不尽な移転解体案から宮城県立美術館を守るために、たくさんの人々が反対運動を始めて、署名活動は1か月で17775筆が集まりました。2020年11月16日「河北新報」が「宮城県美術館 移転断念」県決定、現地保存へ、と伝えました。
 記憶があいまいですが、私も1990年代に職場の職員旅行で行ったことがあります。当時、私の勤務していた診療所は、全国組織に加盟しておりました。佐藤忠良氏の息子さんが医師として東京にある系列の医療機関に勤務していたと記憶しています。ちょっとだけ、つながりがあったのですね。施設も作品も素晴らしかったのですが、裏庭から見える広瀬川、周りの樹々の緑も印象的でした。また訪れたいです。最後に、もしかしたら、ご存じの方もいらっしゃるかと思いますが、女優の佐藤オリエさんは、娘さんです。#今日は何の日 2024.7.3

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