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表現者の君へ

「Singin' in the Rain」や「A Chorus Line」に続いて ブロードウェイキャストの「West Side Story」を観に行く機会があり、文字に残しておきたくなったのでやってみた。

幕が開く瞬間というのは正直クライマックスよりも鳥肌がたつし いちばん「生 」を実感する。はじまった瞬間に涙が溢れる事もよくある。

舞台の袖で ふわふわしそうな気持ちを深呼吸しながら抑える感覚とか、もう後戻りできないものが始まろうとしている興奮や不安とか、おなじ温度で動きながらも それぞれが自分の核みたいなところと対話しているような不思議な空気感とか 想像したりする。
幕の内側でぎゅっとなってそのときを待っていたパワーが 一気に客席に溢れて優しく染みてくるとゾクッとするんだけど、それが自分のなかにじわじわ広がってあたたかくなるのが本当に幸せなんだ。



袖から見るとあまりにも明るくて異世界のようにみえるステージは たしかに'魔法台'だと思う。観ているときも(きっと立っているときも)魔法のような なにかほわほわしたベールがかかっているような感覚になる。
なのに、創られた世界でありながらも 時間が経ったとき しっかりと現実の記憶として私のなかに残ってくれる。
逃避をしているようで実はめちゃめちゃ現実。地に足がついてる。伝えるのに直接だと大きすぎたり重すぎたりするものも 魔法を通すとまろやかになる気がする。


大好きな理由は、'ものすごく生でリアルなのに間接的'であること。そして観ている者に想像の余地を与えてくれる ゆだねる余裕があること。押しつけないこと。観ている者を無条件に信頼していること。
想いの伝え方って 言葉だけじゃなくていろいろ方法があるんだ…と その優しくて強い力を思い出す。観る者にショーが届くまで 関わる全ての人が 想像してもしきれないほど 考えて 感じて の作業をしている。それだけ大事に煮つめてあたためてくれているから 心の真ん中から真っ直ぐにひきこまれるんだ。



本当に何かを伝えたいとき、人は共感をあおったりしないはず。表面的なもので共感を呼んだとて 何も変わらないと ほんとうはわかっているからだ。その人自身がハッとしたりハテナが浮かんだりするのを待たなきゃ。残念ながら届かないこともあるけど、辛抱して穏やかに待つ強さを持ちたいな。信頼は 愛 なのできっと。



自分の頭を使って考えたり 心とまっすぐ向き合ったりするのにはものすごくパワーがいるから、いそがしかったりいっぱいいっぱいになると それが難しくなることもある。
もしかしたら、自分の頭と心を動かしていないことにさえ、気がつかないのかもしれない。

世の中には簡単でわかりやすい表現が溢れているし、'絶対'とか'べき'とかのように 使ってしまえばめちゃめちゃ力があってわかりやすいものってたくさんある。それを目にしたり耳にしたりしたときに、「あ そうこれこれ、私こう思ってた」みたいに、知らない誰かがどんな意図で表現したかわからないその言葉によって、自分の気持ちが代弁されているとか思ってしまう。
無意識にそれらに頼ることで、ほんとうは自分の中にあったかもしれない 唯一無二の気持ちに触れられないまま、自分を労った気に なってしまうのかなとか思うよ。

もっと頭動かさなきゃ 心に触れなきゃと思わせてくれるのが、私にとってミュージカルとか 舞台芸術であり、たぶん これがエンターテインメントの力です。

だからこれからも どこの誰かなんて関係なしに 表現を愛する人たちが 思う存分に 想いを混ぜあって育てあって ひとつのものを創り上げていく場所が ずっと続くことを祈るよ。

ごちゃごちゃうごめくピースだったり、私にしか見つけられないキャンディみたいにきらきらの 原石のような想いがきっとあるはずだから ちゃんと拾って大切に育てていく。いつもそう思わせてくれるエンターテイナー・表現者に 最大級の愛と感謝を込めて いつも拍手を送っているよ~



表現者の君を わたしはいつでも応援しているよ
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