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25年目が、はじまる。

今年もモラリティーの日が来た。

人生2度目のモラリティーの日だ。
こんな世の中ではあるけれど、無事今日という日を迎えることができたのはとても嬉しい。

1年前の今日。
PURPLE DIAMOND仙台公演でモラリティーを聴けた…という興奮が冷めやらぬまま、無我夢中で文字を紡いだ。
あの時の自分は兎に角毎日が楽しくて、ツアーの多幸感に全身がぴりぴり静電気みたいに弾けて、いつも心が踊っていた。

ドのつく初心者ベイベーだった私が見た、あの日の初々しい感動。
noteを読み返すと途端にその瞬間に戻れるような感覚がして、未熟な文章ながらもきちんと書き残しておいてよかった、と素直に思う。


この1年間はまさに「怒涛」と表現する他なかった1年だった。

例えばPURPLE DIAMONDツアー。
市川で人生初の生及川光博を体感したと思いきや、八王子、結城、仙台と転がり落ちていった。

この「モラリティーの日」ののちも、人見2DAYSに愛知、静岡、そして千秋楽のNHKホールまで駆け抜けた。
特に人見の2日目では…これは本当に何の運命と言うべきなのか…とんでもない位置からステージを見ることとなる。致死量の高揚感に、心肺機能は瀕死の状態に陥った。


そんな夢のようなツアーの日々を終わりたくない!終わらせたくない!と散々嘆いていたのも束の間。
気がついたときには映画「引っ越し大名!」の初日舞台挨拶の会場で、ステージに立つミッチーをウキウキと眺めていたのであった。

あの日のミッチーはワンマンショーで見たミッチーと一寸違わぬミッチーであったが、同時に全く見たことのない「初めての印象」を強烈に私に植え付けてきたことを、強く覚えている。


まず歌って踊らない姿を見るのが初めてだった。
そして、余すことなく完璧に作り上げられた「ミッチー」の姿はワンマンショーの時と変わらなかったが、舞台上の状況を瞬時に察知して最善を尽くし提供する姿はこれまで見てきたどの姿とも同じようで、全く異なるものだった。

自分の役割を大きく飛び越えるようなことは決してしない。けれどちょっとした隙間は逃さずに、絶妙なタイミングで助け舟を出す。

自分が何者であるかを完璧に理解していなければ、あの立ち振る舞いはできないだろう。

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似たような光景を10月にも見た。
それはドラマ「グランメゾン東京」の特別試写会で、だ。

この日は事前にドレスコードも知らされており、非常に緊張した面持ちで会場に足を運んだのを覚えている。
高級ホテルの会議室を貸し切っただけでなく、開演前にはドラマのテーマに沿ったデザートの提供などもあり、まるでパーティーに招待されたような不思議な感覚のイベントだった。

その光景はTBSの並々ならぬ気合いを感じさせるには充分で、そんな局側の意気込みと比例するように取材陣の数もとても多かった。

そんな中現れたミッチーは相変わらず完璧な「ミッチー」そのもの。

この日見せつけられたミッチーの底力は、Kis-My-Ft2玉森くんへの優しくもあたたかい心配り。
ずっと下を向いて俯きがちで、立ちぼうけだった玉森くんに話を振って、話題の中心に連れていってあげていたのはいつだってミッチーだったように思う。

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「アーティスト」及川光博と「俳優」及川光博。
同じように見えて、こんなにも違って見えるだなんて知らなかった。

アーティスト及川光博は「太陽」。
中心から自ら光り輝くが、その光で周りのバンドメンバー、スタッフ、そして観客すらをもキラキラ照らす。

一方の俳優及川光博は「月」。
主役の放つ光を殺さず、加えて自らの色も活かすように反射させて周囲を心地よく照らす。

この感覚は、去年の今頃には間違いなく持っていなかった感覚である。

そうやって彼のわずかな違いを意識して見ると、テレビ番組にゲストで出演しているときの姿もこれまでとは全く見え方が違ってくるので、とても面白い。
何気ないふるまいにも、キラリと光るプロ意識と美意識があることを知った。
それが私には、なんだかとても誇らしく思えた。


かと思えば、10月の彼の誕生日に行われたファンクラブ旅行では、テレビでは絶対に見せないような人間らしい部分が沢山見られたので、それはそれでずるい!と思うしかなかった。
個人的には足癖の悪さがとても好みだった。

まあ、2ショット撮影などで近くに行った時には人間らしい部分なんて全く感じる余裕もなく、ただただその「美」にひれ伏すしかなかった訳だけれど…。


ドラマ「グランメゾン東京」の好評ぶりは一視聴者である私も嬉しかったし、毎週毎週キュートな相沢瓶人に会えるのも嬉しかった。  
ライブが無くても日々は充実していて、LINEやファンクラブからの写真や情報だけで、供給過多の日々。

そうして訪れる初めてのカウントダウンライブも楽しいばかりで。
人生初の生マントミッチー。
心のフィルムにしっかり今も納めてある。嗚呼マント。あんなに美しくマントを翻すことが出来る人間は、そうそう現代日本には存在しない。

2020年もきっと楽しいばかりの日々なのだろうと、勝手に楽観視していた。


昨年、仙台の地で聴いた「モラリティー」でも重く、重く、受け止めた言葉。

もうみんな気づいているでしょう 明日には死ぬかもしれない

まさか今年はこんな形でこの言葉の重みを嫌になるくらい痛感することになるとは思わなかったけれど。
それでも、彼と彼の周りのひとたちが誰ひとり諦めていなくて、今出来る最善を尽くそうとする姿勢が私はとても好きだったので。

私自身も今出来る最善を続けていきたいと、彼らを見て強く思った。
そんな決意の2020年、モラリティーの日。

今日から25年目だそうだ。四半世紀。びっくりするぐらいずっしりした響き。でもきっとミッチーなら、軽やかにスキップしながら飛び越えていってしまうのだろう。そんな気がする。
今年も素敵な日々を過ごしていけますよう、再び心から願う。

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