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M-Smile Presents HALLOWEEN PARTY 2018 ~EMMA~ 感想

茅原実里さんファンクラブイベント『EMMA』に行ってきた。
ファン歴はそこそこ長い癖に、FCイベントに参加するのはエムステ以来2度目という謎の新規感を持ちながら。
4公演を終えて改めて実感した。
2018年。この平成最後の時期を、茅原実里さんに捧げられる自分がとても幸せ者だと。
2018年。今年は本当に、茅原実里さんを追い甲斐のある素晴らしい一年だと。

率直に申し上げて、舞台は本当に素晴らしかった。
みのりんで素晴らしい箇所を挙げるとするならば、特に「ショコラ」と「絵麻」の演じ分け。そしてショコラが絵麻であると自覚した後の、二者が少しずつ溶け合い同化していくところ。
本来声だけで演技をすることを生業としている彼女であるから、細かな感情表現は上手いに決まっている。けれど、何より表情が良い。
どこか歌っている時と似たようなものを感じて。

最近の茅原実里さんは、憑依型のアーティストになってきたと感じている。様々なジャンルの楽曲に入り込み、「楽曲の感情そのもの」になっているような、そんな感覚。だから今年演じたエリカも、ナミも、アイアンサドーも、ケミィも、全く違うキャラばかりだけれど、違和感がなくて。
今回の役は、脚本演出の春陽さんがみのりんそのものを当て書きしたようなキャラだから、ご本人の性格や雰囲気と近しく自然なはずなのに、でもちゃんと「ショコラ」で「絵麻」だった。

そして何より劇団5454(ランドリー)の皆様が素晴らしい。
これは終始感じていたことだけれど、とにかく瞬時の対応力があるスキル高めの方ばかり。何が起こっても必ず拾ってくれる安心感があったから、見ていて心地よかった。テンポが良いのは、コントのイロハをしっかり理解しているからなのだろう。かつて神保町花月で芸人のお芝居ばかり見ていた人間なので、同じような空気を感じて懐かしかった。
みのりんの準備中のトーク時のあのツッコミの素早さ。そして動き。少なくとも春陽さん、板橋さん、高野さんの動きは、完全にひな壇芸人だった。好きです。

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大阪公演の際、元々行く予定であったお渡し会大阪が台風で延期になったままなので、とても久々に茅原実里さんに会えるなあ…なんて思っていたけれど、ミスサンシャインの公開生放送に参加していたので、大した間は空いていなかったのであった。
そんな感覚の麻痺が起こるほど、今年の彼女は活動的だと思う。多忙ゆえにくれぐれもお身体をお大事に…と思いつつ、それでも彼女自身の毎日がとても楽しそうなので、ファンとしてはただただその様子を見ているのが嬉しい。

以下、時系列の感想。

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開演を待っていると、突然のみのりん…いや、ショコラの声。大阪マチネでは突然で動揺してしまったが…実はああいう影ナレが大好きで。注意事項をポップに演者から伝える画期的なシステム。注意事項だって公演の演出の一部にしてしまえば、ファンなら守るから。

どんなストーリーが始まるのか胸を高まらせていると、そこには舟を漕ぐエクレアときんつばが。このふたりのやり取りがあまりにも私の心をぐっと掴んだものだから、これは、この演劇は、絶対に面白くて最高だぞ!と確信した。
あの短い導入でどう考えてもきんつばがポップで愛されるキャラだということが伝わるし、エクレアは口が悪くて、なのに実は素直で可愛いことがわかってたまらない。きんつばは、最高に歌が上手かった…。

これはFCイベントなので当然なんだろうけど、挿入歌や劇中BGMが茅原実里の数々の名曲を使用しているのは、くらくらした。あれはずるい。
ちなみに私が一番心臓を鷲掴みにされたのは、きんつばが役目を終える時に流れていた「Lonely Doll」が断トツ。だってあのイントロだけで不穏な未来が予知できるのだから。

そして、演出の妙。なんなんですかあれは。
確かにバングルライトが物販にあったから、念のため光りものを持っていったけれど、まさかあんな風に我々自身が演出の一部になるなんて、普通思わないじゃないか。精々黄泉の国でライブシーンがあって、そこで魂たちが楽しむ…程度の内容だと思っていたから、これはもう駄目だった。春陽さんに感服するしかなかった。

あとがきやトークでも仰っていたけど、この演出は河口湖での色とりどりに輝く光の海を見て感銘を受けたことがきっかけだ、と。春陽さんが光の海を水中や炎のゆらぎといった捉え方をしていたのがとても印象的で。ハッとする演出はこういう感性から生まれてくるのか…と更に感服。
よくよく考えてみれば、クレイジーマンションでだって3人回の演出を初めて見たときの感動が未だに忘れられないのであって、感服するのはまさに当然の結果だった。演出が上手い人が本当に好きなのだ。

観客参加型の演劇は、方法を間違えるとえげつないことになったりもするのだけど、そこまで全員に強要を必要としないものであったし、何よりFCイベントという閉鎖性と、『茅原実里ファン』という特異性があったからこその実現だったと思う。
運営に信頼されているという事実を改めて重く受け止めて、自らを省みる良い機会にしよう、とひそかに誓った。

さて、そんな中で現れた馬場一人さん、最高にずるいなあと感じた。

はじめ、ものすごく見た目に雰囲気ある人が出てきたなあ、と。どの役者さんなのだろう、と。違った。見覚えのありすぎるギターのお兄さんだった。正直初見は気付くまでワンテンポずれた。

ここ数日シークレットゲストというものに完全なるトラウマを植え付けられていたけれど、こういうタイプのシークレットなら嬉しい。演者側にも観客側にもミスマッチのない、すばらしいせかい。
しかし驚いた。本当に驚いた。Planet patrolのMVやCMB単独ライブ開催等で既にわかりきっていたことではあるけれど、流石茅原実里の現場だ。世間一般に蔓延るバックバンドの概念など存在しない。…好きだなあ。

当然の如くチャンババも初舞台であったけれど、すごく良い役どころだった。たまたまお菓子の名前で役名を統一していたところでの「馬場さんの名前どうしよう…あ、ババロアでいいじゃん(春陽さん談)」は、「この世には偶然はなく、あるのは必然だけ」という、漫画『xxxHOLiC』の名言を思い浮かばずにはいられない。

余談だが、大阪ソワレの「未成年の皆さん!ババロアメンバーが待ってるよ!」は聞こえが悪いどころではなくて最高に笑い転げた。アウトだよアウト。初舞台の人のアドリブとは思えないね!
東京ソワレでも突然ドラえもんが秘密道具を出し始める音を鳴らすと思ったら、立て続けにスネ夫が自慢をする時のBGMを弾き始めたりなど、楽しんでいるようで何よりだった。

初舞台の茅原実里さん。

一番印象に残っていた部分は冒頭にも記したが、改めて。
ショコラはショコラというよりも、これはいつもの茅原実里さんなのでは…?と思えるような自然な当て書きキャラで、クレイジーマンションの凛とはまた違うけれど、でもこれもしっかりと茅原実里さんだ…という要素がたっぷりの可愛らしいキャラ。
だから違和感もなくて、たとえちょっとしたミスがあってもそれも味わいになるような…そんなキャラだったと思う。
「アイスは優助さんのペースに合わせてくれないんだよ!」というシーンで間違えて「ペースケ」と呼んでみたり、「おっちょこちょい」と言いたかったのに動揺して「おっちょこそっそっそい」と言っていたのも、良い味わいだった(いずれも大阪ソワレ)。
みのりん自身もやりやすいキャラだと仰っていたけど、そこは春陽さんの観察力の真骨頂なのだろう。
ミスをしたときに真面目すぎて「ちがうちがう!」と手の動きを交えて演技を中断してしまうという裏話は、ほほえましかった。容易に光景が想像できて、にやつく。

私が…いや私だけじゃない。きっと会場にいた全員が、とにかくジェラート(と板橋さん)を好きで好きで堪らなくなってしまった。間違いなく。
ショコラとの会話のテンポがすごく好きで(春陽さんの脚本は全体的にテンポが良くて話が入ってきやすい。一定の間隔でパワーワードがあるのでワードジャンキーにもたまらない)、何より「不憫」「突っ込みが秀逸」「回しが上手い」というキャラが性癖レベルで好きなので、物語が進んでいけばいくほど虜になってしまった。

カウンセリングタイム。この時間は、この作品唯一の身内ネタ強目の、FCイベント感のある時間だったように思う。

個人的に抱くEMMAのすごいところ、偉いところとして、FCイベントという閉鎖的な身内のノリで固めてもよいような中で、その甘い蜜に惑わされずに、ただただ一般的な演劇をしているところ、を挙げる。勿論ところどころにファンでしかわからないようなエッセンスはちりばめられているのだけれど、それは物語の本質には関わらない。

そんな中でFCスタッフの黒ちゃんが出たり、マネージャーのしーちゃんが踊らされたり(サンバ、音頭、サーフィン…)、FC会員がインタビューを受けたり。
イベント性質上当然ではあるのだが、それでも茅原実里さん関連の人たち死にすぎ問題は流石に笑ってしまった。
「茅原実里さん関係のひとたち死にすぎじゃないですか?!」というジェラちゃんの叫びを聞いて、私は出雲公演の帰りの飛行機を思い出して笑っていた…(出雲公演翌日の羽田行最終便の乗客があまりにも茅原実里ファンばかりだったものだから、「この飛行機がこれから墜落したら今後の売上が大変だよなあ…」とよくわからない危惧をしていた)。

私自身もここで貴重な体験をすることになるのだが…それは人生の宝物として胸に秘めておく。とりあえず天国に行けてよかった。…来世で西武ライオンズが日本一になれるのなら今すぐにでも来世に行きたいものだが…。椅子は本当にフカフカだった。身体の重みでぐっと沈む感じ。

物語の流れに戻る。

大阪公演が終わってからきんつばの最期について、ふと気付いたことがある。黄泉の国の従業員には人間の感情がないというのに、きんつばはショコラの提案することに唯一文句を言わず、逆に共感していたりしていた。名前を喜んでいたりするのもそう。エクレアやジェラートとは違って。
死神には魂が無いはずなのに、感情が理解できないはずなのに、どうしてショコラと共鳴していたのか。
死神の役目の終わりの先に、生まれ変わりが待っていたとしたら。だからきんつばも少しずつ人間の感情を理解し始めていたとしたら。
ジェラートも知らない終わりのその先に、未来が待っていたらいいなあなんて思ったけれど。
それは私の希望として、とにかくジェラちゃんに足首掴まれて雑に引きずられるきんつばは面白かった。

そういえば、きんちゃんとジェラちゃんのやり取りを見た加藤の動きが最高に面白いのに、4年ぶりの舞台ご出演とは何事だろう。窓枠で目を隠して誤魔化すシーンが、加藤の小賢しく狡い感じが出てたまらないし、言い回しもクセが強くて面白い。なんだかんだしっかり死を受け入れているのにも笑ってしまう。加藤の一挙手一投足を観察していたい。演技をもっと見たくなってしまったのに…4年ぶり…。

いよいよ優助が登場するわけだが、いちばん好きなくだりがあって。それはみんな好きだと思うけれど、優助が混乱しているシーン。

「ここは?」「黄泉の国」「あなたは?」「鬼です」「まーちゃんは?」「閻魔です」「ショコラ!」「いいから!」「俺は」「魂です」「死んだ?」「残念ながら」「…ここは?」「黄泉の国」「あなたは?」「鬼です」「まーちゃんは?」「閻魔です」「ショコラ!」「いいから!」「俺は」「魂です」「死んだ?」「残念ながら」「ここは?」「黄泉の国」「あなたは?」「鬼です」「まーちゃんは?」「閻魔です」「ショコラ!」「永遠にやるつもりですか!!」

テンポが最高すぎる。しかも脚本には「ショコラ!」のくだりがない。あそこの茅原実里さんの可愛さが天地を突き抜けハリケーンを巻き起こし、面白さとリズムの変化をもたらしていて素晴らしい。増えてよかったくだりである。とにかく可愛い。加えてジェラちゃんのツッコミが珠玉。何度でも見たい。

突然ショコラが「優助さん」と呼び始めたのは魂の記憶が残っていたからなのだろうか。犬のくだりも、魂の記憶の一部なのか。
ここのくだりで実はまーちゃんが死んでないことがわかるのだが、脚本が特に観客のミスリードを狙っているわけではないのはわかる。大事なのがそこじゃないのは、わかる。むしろ観客側に「まーちゃんは死んでないのになぜ…?」と思わせることを意図していたのかもしれない。

ここでまさかみのりんが衣装を転換すると思わなくて、驚いた。誰が予想しただろうか。春陽さんの演出に惹かれるシーンのひとつ。
黄泉の国にしてはセットが家みたいだ、という少しの違和感がここに繋がるなんて思わなかった。ほんの5秒くらいで衣装とセットの2度、金槌で頭を思いっきり殴られたような衝撃だった。
閻魔の服が身体に触れた瞬間に場面が転換するのもいい。安易な暗転や、袖に戻ることに頼らず、工夫だけで転換するシーンが私は大好きなのだ。

冒頭にも申し上げたが、繰り返し伝えたい。みのりんの演技がショコラと絵麻ではっきりと違うことを。
ショコラはどこかふわっとした感じでつかみどころがなく、絵麻はおだやかだけど芯はある。似ているけど明らかに違う。それが一瞬にして伝わる。
後々のショコラが絵麻だと自覚した瞬間の演技も、これまでのショコラや絵麻と異なる。きちんとショコラと絵麻が溶け合った演技をしていて、その演じ分けに鳥肌が立った。

ショコラとクレアちゃんの女子同士のやり取り、本当に可愛らしい。キュートなやり取りの中で、きんつばがいなくなったことを知るショコラ。「…えっ…?」の声色、表情。みのりんの演技、筆舌に尽くしがたい。
きんちゃんのことをクレアが覚えていないという事実に、徐々に困惑していくショコラ。半信半疑ながらも少しずつ疑問で心が濁っていくという気持ちの濃淡をうまく表現していて、たまらなかった。
あのシーンは息が止まってしまうほど集中して見ていた。少しの感情の変化も見逃したくなくて。

そんな緊張感のある展開から一転して、加藤と優助の会話は、まさにコント感の真骨頂!という感じで、素晴らしいテンポとスピード感だった。
友人がジャングルポケットみたいだと言っていたのも、なんとなくわかる気がする。斉藤と太田の上手さを彷彿とさせるから。
終始加藤が憎めない。そしていちいち台詞が好き。死にながらにして死ねぇ!とか最高。
それなのに詐欺師ゆえの天性の才能だろうか、ジェラちゃんの奥底にある暗い部分を実はひょっこり引き出していて。だから加藤が友達だったら不良品にならずに済んだのかも、なんてこぼしたのかもしれない。愛想笑いされていたけど。

場面はくるくる変わる。絵麻と優助のシーン。そこには幸せが溢れすぎてなんだかいつも泣きそうになってしまう。役なのだけれど、役を超えた演者そのものが持つ本来のあたたかみが伝わるのかもしれない。指を千切るくだりが好きだな。改名しろー!のところも。東京マチネで千秋の「ばかやろーっ!」が出てきたのはありがたかった。

ここで「犬が好き」の伏線が回収される。しかもムクで。一番FCイベントっぽかった。茅原実里あるある、ムクが登場する。
「ねえ、ムクー?」「ああー!名前つけちゃってるじゃん!!」は台本にないけれど、良いくだり。オスかメスか判断するくだりも台本には無い。けれど、とても好きなシーン。「はっ!」「どっちだったの?」「……男の子」のたくましさから照れくささに代わるみのりんの声色がすごく良い。

なんだかんだ、絵麻と優助の会話には黄泉の国が関わっている気も。ローン地獄。ローン天国。詐欺。気のせいかな。

唐突だが、私がジェラちゃんをすごく好きになった一番のきっかけは、ショコラが恋を自覚したあとのシーンでの様子だったりする。

「…おかしいですよ、なんでですか?なんでそんなに人間が残ってるんですか…?」の乱れた感じから、きんちゃんを覚えているショコラに混乱するシーンが無性に好きで。人間の感情なんてわからないはずなのに、混乱して乱れていく過程が痛いほど伝わってきて。

同様に、ムクがベランダにいることで焦っていく絵麻の一連の流れも震える。ここのみのりんの演技は凄い。鬼気迫るものを感じるし、ムクが落ちたら…という恐怖心から間髪いれずに自分自身が落ちてしまう衝撃を、観客に痛いほど伝えることのできる迫真の演技だった。

優助にお姫様抱っこされている絵麻の光景は夢のよう。照明に照らされることで身体の線に合わせて光が屈折する光景が美しすぎる。脱力しているからこそ生まれるボディラインが、まるでミロのヴィーナスのような曲線美を描いていて。自分の好きな方がお姫様抱っこされているシーンなんてなかなか見られるものではなく、ひたすらに眼福である。

以降、全てを知ったショコラになるわけだが。何度でも言う。徐々に絵麻が溶け出して混ざり合う感じ。何回見ても良かった。
ベランダから落ちてもほぼ無傷だったという話に、某両国国技館を思い出した人も多いのだろう。少なくとも私は思い浮かべた。
死んでもないのに閻魔にさせられる黄泉の国、流石にブラック企業すぎるな…と笑いながらも、伏線をゆるやかに回収していくのが心地よかった。
ジェラちゃんが言うなら間違いないね、と笑う絵麻に対して「えっ…?」と返した瞬間のジェラートの表情、よかったなあ。自分が不良品だということを自分だけがこの黄泉の国で知っていて、深く考えすぎる性格だけど真面目に任務を遂行するロボットみたいな彼。救いがなく終わりもないと思っていたところに突然現れたのが、自らの無意識の行動で周囲を少しずつ変えていくショコラ。

このショコラは、絵麻は、茅原実里さんだった。

その存在で、他人を少しずつ変えることのできるひと。きっかけをくれるひと。パワーを持つひと。素敵な魅力で周囲を明るく照らすひと。「愛」のひと。それが私の中の茅原実里さんというひと。私だけでなく誰もが彼女をそう評すだろう。

クレアちゃんに対してもおなじ。きんちゃんを忘れないでね、と。
当然エクレアはきんつばを覚えているはずがないのに、不思議だ。きっと絵麻のことばをクレアちゃんは忘れないのだろうな、と思える。不思議と確信を持って言える。
だってババロアはあの曲を奏でたし、エクレアはあの曲を覚えていたから。

「誰かを探してた気がする」
それは、きんつばが役目を終えた直後のクレアちゃん。ああ、これも伏線だったのか。

『会いたかった空』が美しかった。
あの場面で、あの人間関係を見せられて、あの状況で、あの選曲は、ずるいとしか言いようがない。
果たしてどの段階でこの楽曲を歌うことになったのか。
この曲ありきで作品づくりを進めたのか。作品を作っていくうちにこの曲を核にすることを決めたのか。正直聞きたいことばかりだ。
歌詞を読むと、この曲はつくづく変幻自在に生きていることがわかる。畑亜貴というお方はいったい何者なのだろうか。
『境界の彼方』の世界を歌っていたかと思えば、『Innocent Age』の世界にぴったりと寄り添って、そして『EMMA』の世界にしっかりと根を張って存在感を出す。奥が深い。深すぎて、まだ底が見えない。3年以上前の楽曲なのに、まだ進化するのか。

今回春陽さんが、みのりんに対して「きっちりと歌っていない歌を歌わせたかった」とリクエストしたという。
まさにそのリクエスト通り、いやリクエスト、演出以上の効果を生み出していたような気がする。我々ファンも、こんな歌い方やこんな表現方法も彼女は出来るのか、と驚嘆した瞬間であっただろう。

極めつけは馬場一人のアコースティックギターの演奏をバックにして、という点。
あまりにも贅沢だ。
チャンババはすごい。ミスタースコールという愛称が生まれるほど、常に愛嬌のある面を見せてくれるし、かと思えば普段のライブでは熱い演奏を披露するし、そして何よりも。アコースティックギターの演奏が究極的に泣けるのである。

こんなエンディングを見せつけられて、胸に響かないわけがなかった。

素晴らしい脚本・演出。そして素晴らしい劇団員の皆さんのお陰で、私の大好きなひとの素敵な初挑戦を見届けられたことはとても幸せで。
きっとこの先も、この経験を生かして、私の好きなひとは前に進んでいくんだと思うと、ちょっぴり武者震いにも似た感覚でいる。
明日が、1秒先が、待ち遠しいことばかりだ。

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アニメ『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』のED曲担当に始まった2018年。桜咲き緑萌ゆる季節に初の朗読劇ツアーを行ったかと思えば、神様がほんの少しいたずらをしたような寒さの中で出雲大社奉納公演を行い。

フルメタル・パニックで衝撃的な最期を迎えるナミを演じつつも、スペシャルEDや挿入歌を担当。途中茅原さん自身の印象に強く残ることとなる、アイアンサドー(『Cutie Honey Universe』)を演じたり、週刊少年ジャンプの人気作品『僕のヒーローアカデミア』でケミィを演じたり。

恒例の河口湖では記念の10周年公演に伴い様々な企画や植樹祭を敢行。アニメロサマーライブでは、あの大規模フェスでバラード2曲を演奏するという圧巻のパフォーマンスで、会場の空気を完全に一変させるという底力の強さを見せつけた。

ここに書ききれない沢山のイベントも、これまでで一番良かったと心から思うものばかりであったし、日を重ねるごとに、自分の中における彼女の重みが増すものばかりであったが。

2016年以来のニューアルバム『SPIRAL』からも伝わる、これまでにないパッションを。情熱を。うねりを。狂ってしまいそうなほどの「生」への執着を。アルバムについてはまた別途まとめるとして、そのとめどない勢いのまま、ここに来て。FCイベントで演劇をやると聞いたときは衝撃だったけれど。でも、今年の茅原実里さんの活動を見ていると、その流れになるのは必然か…とも思う。

2018年。こんなにも進化と深化を続ける茅原実里さんを目の当たりにし続けて、動かずにいられるだろうか。彼女自身が止まることを知らないのに、私自身が油断して止まってしまうのは意味がわからない。そう思って、気がついたらがむしゃらに見つめ続けている訳だけれど。

2018年。今年は本当に、茅原実里さんを追い甲斐のある素晴らしい一年だと、心から、何度でも言いたい。
すきなひとの、新たな一面を次から次へと見せられて魅せられて、こんなに幸せなことがあるのか。

それをただひたすらに実感させられた素晴らしいファンクラブイベントだった。
また是非演劇をしてほしい。劇団5454さんと共演をしてほしい。
劇団5454さんの本公演も見に行かなければ。今後『すすぎ』の再々演の機会は無いのか。想いは巡る。

茅原実里さんが好きで、よかった。

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