見出し画像

道徳

ある日曜日の朝、ぼくは近所の公園で、オモチャのようなグローブをはめて、セカンドを守っていた。たまに父親とキャッチボールをする程度で、野球のルールなど殆ど知らないのにも関わらず。

仲間はずれについて話し合う、それが、ある日の道徳の時間のテーマだった。「うちのクラスに仲間はずれはありますか?」先生がズバリと訊いた。あります、と言える雰囲気ではなく、みんなが押し黙る中で、ひとりの生徒が、「仲間はずれというわけではないんだけど」と切り出した。彼の言い分は、「野球をやる時に、リトルリーグに入っている人ばかりが集まってやるので、そうではない人は仲間に入れてもらえないので、野球ができない」というものだった。これを聞いた先生は、野球の得意な何人かの生徒に、それは本当のことか、と問い質した。彼らは、そんなつもりはないのだけどいつの間にかそうなってしまった、もしやりたいのなら一緒にやるから言って欲しい、と言った。先生は、それでは今度の日曜日、クラスの全男子生徒で野球をやりなさい、と言った。誰かが、全員ですか?と訊くと、全員です、と先生は言った。

とても天気の良い日曜日で、普段であれば、それこそ父親とキャッチボールをして楽しんでいるような日和だった。先生や女子たちも観に来ており、ぼくはすぐにでも帰ってしまいたい気持ちだった。先生の命令だったとしても、断ればよかったと後悔していた。誰かがヒットを打ち、ランナーがセカンドに進塁してきた。ピッチャーは、リトルリーグでもピッチャーをやっている専門家だった。彼は、キャッチャーにボールを投げるものとばかり思っていたが、いきなり振り向くと、鋭いボールをぼくを目がけて投げてきた。ボールは、受ける準備など何もしていないぼくの右眉の上辺りに当たって、レフト方向の草の茂みの方へ転がって行った。何が起こったか分からず、ウロウロしていると、早くボール取りに行けよ!と、誰かに怒鳴られ、ぼくは半ベソをかきながら茂みにボールを取りに走った。それが牽制球というものであることを知ったのは随分後のことで、その時は、ピッチャーが何かの嫌がらせでぼくにボールをぶつけてきたのだと思っていた。ボールを見つけて戻った時には、ランナーは全て居なくなっていた。諦めた笑いが起こり、試合は再開された。

これで、先生の仲間はずれをなくす試みは成功したのだろうか? 野球が得意な子、サッカーが得意な子、絵を描くのが上手い子、歌が好きな子、生徒には様々な個性があって、一緒に何かをやることだけが仲間だというわけではないことを知らない人が先生をやっていたのだとしたら? でももしかすると、何も得意なものがなかったぼくのような子どもを、先生は救おうとしたのかもしれないのだけれど…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?