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街の静けさに蝕まれる

日頃から僕が言う。
街は静かになりすぎた。
これについて少し触れたい

自然界ではここまで静かなことはあり得ない。

山には虫が住み鳥や小動物も住む。
奥へ入れば熊や猪、しかも簡単に見つかる。

山が静かなはずがないのだ。

海に行けば風が吹き
波は満ち引きを繰り返し音をたてる。

海が静かなはずがないのだ。

川へ行けば
水流れ、時に山の一部として音たてる

川が静かなはずがないのだ。

もとより生き物はそんな音や光、時に香りに紛れて生活していた。

無論人間もだ。

それらは当たり前の音として、安心感すら与えてくれる。
自然界の音とは自分がたてる音をかき消す隠れ蓑なのだ。

比較してここは自室
自室でただ瞑想してみてほしい。

静かすぎる。

静かな場所で静かすぎる場所で真にあなたは安心できるだろうか。
音をたてずには生活できない僕らが、音のない世界で安全だと認知して安心できるだろうか。
故に隠れ蓑のない静寂に僕たちの真の安心や癒しはないのだと思う。

思えば瞑想や禅は室内よりも縁側等の半室外とも言える空間で多く行われるのはこの事からなのでないかとすら思う。
逆に厳しい修行ほど孤独もしくは一定の音だけがなる場所で行われる。

そんな街と自然の対比を思うとき違和感のある言葉がある。
山は静かで心地良いという言葉

確かに繁華街の喧騒との比較ではそうかもしれない、しかし、先にものべたように静かなだけならなぜ自室で癒されなくて、そして、真に心地よくないのだろうか。(住環境に本気で投資している方を除く)

それはやはり、山や自然は静かなのでなく、そこで起きる当たり前の音がなっているからだろうと思う。
自分がたてる音もそこに紛れ、安心するのだと思う。

では静けさじゃなく
音により癒されるとするなら、どんな音があるのかに着目することが癒しに繋がるのだと思う。
そしてその為には五感を制限するといった事【目をつぶる】【息を整える】【座を組むもしくは横たわる】によりそれが加速するのだと思う。

そのくらいヒトという生き物もまだまだ動物であり、だからこそ、自然では安心し、暗闇ではある種落ち着いたり/不安になったりするのだとおもう。
またこれらは集中力といった脳を消費する際にも考えなければならないことである。

危険である(安全でない安心できない)場所においてはそこに割かれるエネルギーが本当に大きいからだ。

住環境は静かになりすぎた。
その不自然さから来る消費を避けるには
街の喧騒から
自然界の喧騒へ行くのだろうなと

そんなふうに思う。

ごとーの日記でした。

@k7123_vg

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