胡    乱 な 夢

朝起きて少しだけ日光を浴び、気分が面倒に沈んでしまわない内に近くの食料品店で至近の入り物を買い集め、帰るなりそのまま弁当用のおかずとして何品か拵え、そのまま床掃除をし、最近購入した野良猫になって街を闊歩するゲームを遊び、にわかに気分が良くなり酒をひらき、興が乗ってしまい追加で酒をひらき、ベッドに倒れ伏して惰眠をむさぼっていたら変な夢を見て、起きたら陽が暮れていた。総合して七十点くらいの一日。

夕暮れの中、人でにぎわう商店街を歩いている自分を自覚したところから覚えている。自分の趣味ではない衣服を着、安物らしきサンダルを履いて、とぼとぼと歩を進めながら、ぼんやりとした思考はなぜか "部屋に向かわなければ" と考えていた。初めて歩く街だったが、目的の部屋の場所はわかっていた。
暗い路地を歩いていると、目の前に人影が立ちはだかる。様相は知れない。逆光とかのレベルではなく、全身が黒の単色に染まった人影。シルエットだけだったが、トレンチコートを羽織っているのはわかった。その人の左脇を通り抜けてもうしばらく歩いた先に、何の変哲もなさそうなマンションの入口がある。エントランスを抜けてエレベータに乗ると、階数のボタンを押さない内に扉が閉まり、勝手に駆動しだした。
数十秒或いは数分、そのままじっと立っていると、やがてエレベータは目的の部屋のあるフロアに到着して止まった。エレベータから一歩出ると、目の前には清潔で新しくもどこか薄暗い廊下があり、目線の先には簡素な鉄扉がある。というか部屋らしきものはそれしかない。よく見てみれば薄暗いのは自分の立っている足元だけで、直線を歩いた先の部屋に近付くにつれて明度はグラデーションをつけたみたいに高くなっているのがわかる。
部屋の前まで歩く。右手の人差し指と中指の爪の先で、鍵盤をたたくようにして交互にとんとんと音を鳴らせば、鉄扉は音を立てて緩やかに開く。目つきの悪い女性がそこにいて、扉を開けるなり室内に引っ込んでいった。続いて室内に入る。部屋までの通路と比べて中は雑然と家財道具等が置かれていて、空間が飽和している印象を受けたが、不思議と清潔感はあった。廊下を進む傍らにキッチンがあり、先ほど扉を開けてくれた女性はそこに立っていた。歩きながらその後ろ姿を盗み見ると、片手鍋をコンロに置き、何かを火にかけているようだった。
廊下の突き当りにはリビングがあり、リビングは気難しいミニマリストの住処みたいに殆ど物がなかった。というより、本来あるべき家財道具が先ほどの廊下に出されていた。
円盤に足が三本生えただけの質素な椅子が二つと、椅子の背丈ほどの高さしかないガラステーブルと、その上に砂漠に生えているような植物の小さな鉢植えがあるくらいで、とりあえず椅子のうちの一つに腰かけた。
この部屋に来た目的ははっきりしていた。おれはさっきの女性と話さなければならない。
ほどなくして女性がリビングに現れる。両手には不揃いのマグカップ。彼女はおれに一つ手渡して、もう一つの椅子に腰かけた。詳しくはないので種類まではわからなかったが、紅茶の香りがすることはわかった。
それからおれと彼女は、これからの生活について話を始める。二人で暮らすにあたって現状足りていないもの、部屋のレイアウトをどのようにするか、互いの生活リズムについて、果ては好みの煙草の銘柄まで話した。彼女の声は掠れてこそいたが見目にしては想像よりも高く細い声をしていて、そのアンバランスさが好印象だった。飲み干したマグカップをガラステーブルに置き、おれが腰を上げると、彼女も立ち上がり、おもむろにおれの右手をとって小指の付け根を強く噛んだ。痛かったが、されるがままにしていたらやがて口を離した彼女が薄く微笑んで "おはよう" と囁いた。
そこで目を覚ました。

正直まだあれが夢なのか判然としない部分はある。手元に噛み跡こそないものの、夢にしては妙なリアルさがあったというか、一々質感が生々しかった。
あと一番不気味なのは、目覚めて数時間が経過してもなお、夢の内容を鮮明に覚えていることだった。

夕飯は簡単なものにして、明日の分の弁当のおかずを弁当箱にいそいそと詰め、シャワーを浴び、今ここに至る。次あの夢を見たら、おれは帰ってこられるのか、自信はあまりない。

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