人民の抵抗権・革命権を嫌悪した福澤諭吉


アメリカのデモの映像を見て、「独立宣言」がしっかりと根づいていることを感じる。
一方、今やデモを白眼視する日本社会に、「アメリカ独立宣言」を紹介したのが、『西洋事情』を書いた福沢諭吉である。
しかし、福沢は『学問のすすめ』において、「独立宣言」の肝心要の「人民の抵抗権・革命権」を意図的に除外し、日本人は政府の方針に異議を唱えず、服従することを求めた。

以下、安川寿之輔著『日本人はなぜ「お上」に弱いのか』から抜粋。

 福沢諭吉は、最初のベストセラー『西洋事情』において、「アメリカ独立宣言(人権宣言)」を見事に名訳して、国民が「政府を立る所以(理由)」は、生命を保持し、自由を求め、幸福を追求する国民の「基本的人権、通義(権利)を固くするため」であり、「政府の処置、此趣旨に戻(もと)るときは、即ち之を変革し或は之を倒して、……新政府を立るも亦人民の通義」であることを明確に認識し、その基本精神を忠実に翻訳・紹介していた。
 ところがその福沢が、『学問のすすめ』において日本人の人権宣言を行った場合には、米独立宣言と対比すると、「自由」があいまいな武士道の「面目名誉」に変えられているだけでなく、決定的な問題点として、「政府を立る所以」が国民の基本的人権を確立・擁護「するため」という、肝心要の〝政府の存在理由〟を紹介・主張せず、したがって政府がその存在理由を逸脱した場合の国民の「抵抗権・革命権」も、自由民権運動陣営とは対照的に、意図的に除外していた。
 逆に同じ『すすめ』で福沢は、フランス革命を支えた社会契約思想を恣意的に利用して、「今、日本国中にて明治の年号を奉ずる者は、今の政府の法に従ふべし、と条約(社会契約)を結びたる人民なり。ゆゑに一度国法と定まりたることは、……小心翼々(びくびくしながら)謹みて守らざるべからず。」(第二編)、「国法は不正不便なりと雖(いえ)ども」、人民はこれを「破るの理(権利)」をもたず、政府が「師(いくさ、戦争)を起すも外国と条約を結ぶも……政府の政に関係なき者は決して其事を評議す(とやかく問題にする)可(べか)らず」(第七編)と、国民の一方的な「国法」への服従・遵法の内面的自発性を啓蒙していた。
 これは、同時代の自由民権運動の陣営が、「政府恣(よこしま)ニ国権ニ背(そむ)キ擅(ほしいまま)ニ人民ノ自由権利ヲ残害(侵害)シ建国ノ趣旨ヲ妨クルトキハ日本人民ハ之ヲ覆滅(ふくめつ、政府を打倒)シ新政府ヲ建設スルコトヲ得」(植木枝盛)と、抵抗権の行使を主張していたのとは、極めて対照的な事実であった。

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