萩生田文科大臣の「身の丈発言」と福沢諭吉の教育格差論

「三田の文部卿」と言われた福沢諭吉は、貧乏人はそれなりの教育で十分、知恵をつけると社会の矛盾や問題に気がついて反政府運動を始める危険があるから、貧乏人の子どもは学費の安い公立の学校へ、富裕層の子弟は遺伝的にも優秀だからお金のかかる私立学校に入れるべきだと主張している。

以下は、安川寿之輔著『福沢諭吉の教育論と女性論』から抜粋。

 ……福沢諭吉は、1887年「教育の経済」(『福沢諭吉全集』第11巻〈岩波書店〉)において、「貧家の子弟をして高尚なる学識を得せしむる」と「憂患、不平」者が生まれ「天下の禍源を醸(かも)すの掛念(けねん)」があるとして、「教育の階級は正しく貧富の差等を違(たが)へ」ないようにするために、官立学校設立の是非へと議論を進めた。翌年の論説で「官立公立学校の利害」(同前書)を主題にした福沢は、「富家(ふか)の子弟は上等の教育を買ふ可く、貧生は下等に安んぜざるを得ず」という事実は「甚だ解し易き道理」であるのに「官立公立の学校に其規模を大にし上等の教師を聘(へい)し……受業の価は至(いたっ)て低廉(ていれん)」で貧民子弟でも容易に入学できることは「我輩の悦(よろこ)ばざるもの」と書いた。
 二日後の論説「教育組織の改革を祈る」では、「貧生に高尚なる教育を授くる」官公立学校の「弊害」は、「国財消費の一偏(いっぺん)に止まらず……知字憂患(ゆうかん)の始まりとは古人の金言」とくり返したうえで、福沢は「学問の教育も亦実物を売買するの主義に基き、高尚なる教育は唯富人の所望(しょもう)に任まかせ……貧人は貧人相応に廉価(れんか)の教育を得せしむるこそ……社会の安寧の為めに大切」と指摘(略)
 続けて福沢は、中学校以上の中高等教育機関への入学は「立身の元入(もといれ)」という「純然たる私の利益」のための進学であるから、これらの学校は「公共の公費を以て」設立するものではないとして、例えば「大学教育の事は挙げて之を民間の私に任じ……其受業料を多くし、専ら富豪の子弟を教(おしう)るの門」とすることを主張した。(略) また、福沢は「遺伝之能力」(『福沢諭吉全集』第8巻)では、「豪農、富商、良家の子弟は、既に遺伝の能力を有し、……良家の子弟をば特に之を撰(えらび)て高尚に導き、其遺伝の能力を空(むなし)ふする無からんこと我輩の最も希望する所」と言っている。


萩生田文科大臣「それ言ったら、『あいつ予備校通っていてズルいよな』と言うのと同じだと思うんですよね。だから、裕福な家庭の子が回数受けて、ウォーミングアップができるみたいなことは、もしかしたらあるかもしれないけれど、そこは、自分の身の丈に合わせて、2回をきちんと選んで勝負して頑張ってもらえば」
https://www.j-cast.com/2019/10/25371052.html

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