価値とは何だろう?

「自分には価値がない」「この世界には生きる価値がない」

そう思ったことはないだろうか。ふと思った。ここでいう価値とはいったい何なのか?

経済学では価値を、需要供給曲線なるもので説明している。これは客観的価値だ。

客観的価値で物事を判断しようとする限り、他人と比較して不幸になる結末からは逃れられないだろう。なぜなら、競争における勝利に価値をおくならば、敗北は絶望ということになるからだ。

だから、主観的価値の方が重要なのではないか。価値があると勝手に思い込めばよいのではないか。価値がないと思い込むことが不幸につながるのなら。

最初に示した「自分には価値がない」「この世界には生きる価値がない」は、「自分には主観的価値がない」「この世界には生きる主観的価値がない」と言い換えられる。

主観的価値は思い込みだ。思い込みは、それに気づけば変えられる。

主観的価値と客観的価値が、ごっちゃになるから人は混乱するのではないだろうか。主観的価値と客観的価値を切り分けて考えることが重要だ。

主観的価値を詳しくいうと、「ハッピーな体験の再現性に対する期待感」なのではないだろうか。

例えば、Aさんは過去に野球中継を通してハッピーな気分になった体験があった。野球中継を再び見れば、ハッピーになれると期待できる。だから、Aさんは野球中継に価値を感じるのだ。

逆に何事にも期待感がないと、それは絶望だ。「自分には価値がない」「この世界には生きる価値がない」という考え方につながる。

期待したのに裏切られたという体験が、主観的価値を上書きして、自分や世界を価値のないものであるという考え方につながる面がある。こうなってしまうと、価値があると思い込めと言われてもなかなか難しいかもしれない。

この問題を解決するために価値の別の性質をみていきたい。

価値は無意識に後付け合理的に自分を納得させるための材料である。何かをやったなら「価値のある行為をしたから、やって正解」と自分を納得させるし、何かをやらなかったなら、「これは価値のない行為だったから、やらなくて正解」と自分を納得させる。

人は基本的に何もやりたくない生き物だ。よく「やりたいことをやれ」とか言われるけれど、そんなにやりたいことがあるわけでもない。子供時代なら知らないことだらけだから、知ること自体が価値をもっていて、だいたいのことは自然と楽しくやれるが、経験を重ねるにつれ、それが難しくなってくる。

ほとんどの大人は「これは価値があるからやる」とか「価値がないからやらない」とか毎日考えているのではないだろうか。そうやって価値によって取捨選択していくことが、無意識に、期待感によってコントロールされることにつながる。

だからといって、何にも期待しないのも、「世界には価値がない」ことになる。

だから、期待感を主体的にコントロールする意識をもつことが重要だ。期待感が出てくるを待つのではなく、自分から積極的につくるのだ。それが「実験的生き方」だ。

実験の楽しさを知っている人ならすぐにピンとくるかもしれないが、ちょっとづつ条件を変えていった時、面白い結果がでてくることがある。この工夫をする過程が、結果を得た時と同じくらい、いや、それ以上に楽しいのだ。

もちろん、ビジネスでは客観的価値を重視したいところだが、生き方については、主観的価値によって物事を判断するのではなく、この実験的生き方を実践することが、しあわせにつながりやすいのではないかと思う。

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