人生は本能と物語

所詮人間は動物。本能には逆らえない。でも本能を直接実現できないから物語を必要とする。これが適応。

うまい飯がある。でも天敵がいる。そしたら逃げる。逃げないヤツは適応できなかった。

生存、子孫繁栄に使える手段は生まれ持った肉体、脳の思考能力に依存する。ヒトは思考能力が優れているので本能を実現する多彩な手段を実現してきた。

思考能力は所詮手段なので、だいたいは、モテたいという本能が先にある。モテたいがモテない。本能は不満だ。このとき、物語を求める。芸をやって、もてはやされている人を見たら、その真似をしてみたりする。そこには、自分もあの芸ができたら、もてはやされるのだろうという物語が存在する。

アイドルという存在がここまで浸透したのも、アイドルの物語性があるのだろう。

本能と物語の結びつきには接触頻度と演出が重要で、接するたびに、この人、もてはやされているなあと感じることが、この人の芸は価値があるという物語を強く信じさせて、もっと接したいという気分にさせる。

物語性について困るのは、べつの物語同士の衝突である。物語は人の行動を決める。このパターンがきたらこう、このパターンならこう、みたいな感じで。

自分の中に相反する行動を求める2つの物語がある時、つらいと感じる。他者との間で相反する行動を求める2つの物語がある時、対立が生じる。

自分がつらいときは、だいたい第3の物語を求める。例えば、(第1の物語)会社に行きたくない。(第2の物語)何もせず家にもいたくない。(第3の物語)そうだ、脱サラしよう。

このような状況になったとき、脱サラの成功例を探しはじめる。そのうち、脱サラのカリスマ的存在がいることに気づく。その人は脱サラというテーマで、もてはやされているので、真似をしたくなる。アイドルと同じような構造だ。

本当に優秀なカリスマはビジネス的には最適でないだろう。悩みを1発で解決すると、リピーターになってくれないからだ。日本人はランキングが好きとか言われているけれど、トップのカリスマよりも中堅くらいがいいかもしれない。

真似をしてもうまくいかなかれば、べつのカリスマ的アイドルを求める。その繰り返しだ。そして、どのカリスマの真似をしてもうまくいかないな、となったとき、そこから自分の物語がスタートする。


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