対立の原因
人はなぜ対立するのか。
それは愛されたい欲求に原因があるのではないかという仮説を立てて考えてみる。
人は愛されたい生き物だ。愛されるためならなんでもやってしまう。そこに隙がある。
「私はあなたを愛します。たとえどんな人でも」
そう言われたらどうだろうか。愛されていないと感じている人はこのような問いかけをされると、少しは信じたくなるかもしれない。
あるいは、このような言い方かもしれない。
「あいつは敵です。でも私は味方です」
結局同じようなことなのだ。
「一生懸命頑張ったのに誰にも認められなかったのはつらかったでしょう。私は認めます。あなたが頑張って生きてきたことを。もう大丈夫ですよ。私の仲間になって、つらい過去を捨て去り、新しい物語をはじめましょう」
おそらく誰だって1回くらいはこのようにして物語を聞かされているだろう。これ自体はなにも悪くない。むしろ心の救いになっていて、よいことであると思われる。
しかし、ここで語られる救いの物語が問題だ。物語の中で、救われるために具体的にやるべきことが提示されたりするわけだが、別の救いの物語では逆のことをやるべきだと提示していたりする。
お互いにとってやらないと救われないから、絶対にゆずれない状態をつくり出す。これが対立である。
対立を解消するには、さらに別の物語が必要だ。対立を解消した方が実は救われるという物語をうまく共有するほかない。
それは簡単なことではない。皮肉にも科学が発達して戦争が悲惨なものになったことで、平和の大切さを物語として共有するようになったということがいえるかもしれない。
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