幸せの定義

幸せとは、欲求の矛盾が減ることである。

お金持ちが一般的に幸せといわれるのは、欲求を達成するのに別の欲求を我慢しなくてよいからだ。

多くの人は、お金持ち=幸せだと思って、一生懸命頑張るが、現代においてはそうともいえない。重要なのは欲求の矛盾が減ることであるからだ。

現代、欲求はデジタル空間に向かっている。良いデジタルコンテンツを消費することが人々の関心を集め、デジタル空間は発展してきた。そして、デジタル空間を満喫するのに必要なのはお金ではなく、情報処理能力だ。情報をうまく処理できる者が幸せになるといっても過言ではない。

デジタル空間は情報だらけだ。現実空間と矛盾する情報を多く見つけることができる。この矛盾をうまく処理できないと、不幸になってしまう。

矛盾した情報の処理のやり方は3パターンあると思っている。

A:より強く欲求を感じる情報を選択し、ほかの情報を完全に無視する

B:ちょうどよくバランスをとることができる妥協点を探る

C:外部から新たな情報を仕入れて、矛盾をすり替える

現実空間では、多くの場合、A→B→C→A→B→C→A→……のようにループする。例えば、きのこ派、たけのこ派という派閥ができて、最初は相手の派閥は間違いだとして、完全に無視する。そのうち、いや、半々で食べればバランスいいでしょという妥協派が出てきて、最後には、そもそももっとおいしいお菓子があるよという派閥が出てきて別のお菓子派閥ができる。(あくまでフィクションです)

デジタル空間では、多くの場合、A→C→A→C→A→……のようにループする。つまり、新たな情報にすぐにアクセスできるから、バランスよく妥協することなく、ひたすら新たな情報を追い求めるようになる。

いずれにせよ、矛盾は一瞬は解消するものの別の矛盾が生まれて、またそれを解消しての繰り返し。

ちなみに宗教が示すような永続的な幸せは、Aにとどまり続けることによって実現される。つまり、教義のみを信じ、外部との情報交換を遮断することで矛盾が生じないようにする。矛盾が生じなければ不幸は感じない。よくできた宗教は、矛盾が生じないように設計されている。多くの場合、教義に従いさえすれば、神様的存在が、あらゆる矛盾を解決するとされている。また、教義に反したものは報いを受けて当然というのもあり、報いを恐れて脱退することが難しくなる。

さて、科学が多くの矛盾を解決してきたこの時代にも、神様的存在は否定されていない。科学が矛盾を解決するには、A→B→C→A→B→C→A→……のようにループする必要があって、時間がかかる。解決したとしても、コストの問題とか別の問題が生じる。別の矛盾が生じるのだ。矛盾が生じている期間は苦しいので、結局、多くの人にとって神様的存在は必要だ。

勘違いしないでほしいのは、科学者は不幸というわけではない。優秀な科学者は、矛盾を素早く解決するから、幸せを感じる時間が長い。

通常、人は矛盾を解決することをビジネスにしている。そのため、広告は矛盾を作り出している。幸せになるために不幸を作って、一瞬幸せになってもらい、ということの繰り返しだ。これ自体が矛盾のように感じるかもしれないが、これが人間というものだ。これが生きるということだ。

いろいろ矛盾はあるけれど、それはお祭りのゲームのようなものだ。成功したり失敗したりするけれど、活力をもらえる。にぎやかしのようなものだ。

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