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キャリアに影響を与えた10のコト

ここ数年、社内外問わず、色々な方からご相談をいただく機会があり、とても嬉しいのですが。その中で例えば「行動しましょう」とか「SNSで発信しましょう」とか言っているのですが。「豊崎、てめーがやってねーじゃねーか!」と自分でツッコミたくなったので、そのツッコミにとうとう耐えきれなくなった今日この頃です。

ということで、久しぶりにnoteでも書こうと思っているのですが。今日は、「豊崎悟のキャリアに影響を与えた10のコト」について、書きたいなと思っています。

書く理由は、主に3つで。

1 昨日、ある経営者が集まっている中で、「みんなのこと知りたい」みたいな話になって、自分を振り返って伝えなければいけなくなったこと

2 昨日twitterで「新規事業やりたい学生いたら連絡してちょ」って呟いたけど、学生とかからして見たら「お前誰じゃ」って感じだと思ったから伝えないとな、と。

3 今の会社も6年目になり、過去社会人生活で1番いる会社になった。ということもあり、今後に活かすためにも振り返りは良いかなって思った。


と、いうことでたかだか人生34年しか生きていない中で、僕の中で印象に残っているまずは10のことについて簡単に紹介したいと思う。

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①Jリーガーに憧れて、野球少年からサッカー少年になった。当時鹿島アントラーズのジーコやアルシンド、カズは憧れだった。その後も前園、中田、ベッカムやジダンは憧れだった。W杯も出たかったなー。笑 野球少年時代のヒーローは古田。その前は仮面ライダーや〇〇レンジャー。

②中学2年生の秋のサッカーの大会で、試合中私の膝に相手からモモカンを入れられる。それ以来、膝の靭帯と半月板の損傷を繰り返し、遂には腰も痛くなる。復帰しても2ヶ月くらいでまた全治1〜2ヶ月の怪我をすることで、大好きなサッカーをやる気力を無くし、高校1年生の冬にサッカー部を辞める。がっくし。

③サッカーがなくなり、自分の取り柄が無いなと思っていた高校時代。自分の自信を取り戻すためにも高校2年の冬から受験勉強をし始める。しかし、能力不足や勉強の要領不足から現役は全部落ちる。浪人し、勉強の本質を掴み、早稲田大学商学部に入学決まり、少し自信を取り戻す。

④中高時代の仲間がラップを始めていたので、私もDJをやってみようと思い、バイトしまくってお金貯めてターンテーブルを購入。せっかくやるのであれば、大きなクラブでDJしてみたいと思い、営業活動してたら、オープンの時間だけどハーレムやブエノスでやれることに。またDJの延長で仲間たちとやったイベント”HooD”の運営も大変だったけど、楽しかった。仲間集めや仲間とのトラブル、集客できなさすぎて凹みまくった時期もあったけど、うまくいってみんなで酔っ払いまくりの大盛り上がりの時は、楽しかったな。あれでイベント作りや事業作り、組織づくりの面白さを感じたかもしれない。

⑤株式会社インテリジェンスに入社する約半年前に起こったリーマンショック。結果的に自分の同期半分がインテに入社できず、当時親会社のUSENに出向。自分の配属先がインテかUSENかが告げられた、そしてその後のUSEN出向が決まった同期が涙をすする音は忘れられない。会社に頼らず、自分の力をつけなきゃと改めて思った。

⑥全く売れなかったインテリジェンス時代の1年目、自分は努力しているけど売れない、すべて市場や顧客のせいだって思っていた。そしてそんな僕を評価してくれって思っていた。やばい新人だ。笑 そこに当時上司の臼木さんが「お前自分で頑張っているって思っているだろ?それじゃ結果は出ないし成長しない」って言われた。きつい一言だったけど、「そうだよな」って心から思えた。「自責」という言葉の意味を、腹の底からわかったエピソード。

⑦インテではその後なんとか売上立てられるようになって、部内MVPを複数回取れるようになってきた。そして次はどうしようと思っていて、そんなことを実家で話をした時、生まれて初めて父親から「戻ってきたら良いだろ」と言われる。あ、そんな選択肢あったんだな、って実感。そういえば茨城好きだし、家族に認められたいし、なんか勝手な使命感出てきたわって感じ。

⑧インテからアイタンクジャパンに転職し、新規事業の新卒サービス立ち上げ責任者を任せてもらった。しかしその時すでに1年以内に辞めて茨城行くと決めていた。残された半年で法人・個人の営業・マーケティング活動や、サイトの仕様やデザインなども任され。結果売上が立つようになったところで離れることに。私が離れた後すぐサイトは閉じられることに。本当の意味で事業化させたとは言えない、私の失敗。

⑨茨城いすゞに入った1年目。中期経営計画を作成してたら、社長から「もっと他の人に話聞いたら?」と勧められる。それで社員100人に話を聞くことに。そこでみんなから出てきた生々しい不満や不安、一方で寄せられた期待や希望、そして「茨城いすゞを良くしたい」という想い。あの100人に聞いた経験があるから、もっともっと良くしたい、って思える。だからやりたい、「地域を代表する会社」創り。

⑩僕のひいおじいちゃんは僕が小学校5年生の時に他界した。それまで実は僕は自分の家が、どんな家なのかっていうのが正直分かっていなかった。でもひいおじいちゃんが他界して、お葬式の話になったら、めちゃくちゃ多くの人が来た。そこで分かった、「あ、ひいおじいちゃんって多くの人に感謝された人だったんだ」って。そこから自分の家が茨城いすゞを中心とした「すゞ陽グループ」という会社のオーナーだったってことが分かってきた。だから保育園の時などでも「悟くんは凄い」とか理屈でよく分からないこと言われてたんだ。なんかヒイキされてたんだ。それは「豊崎悟が凄い」ではなく、「豊崎家」なんだ。自分の価値って何なんだ?これが僕のパワーの1番の根っこの部分かもしれないと思ってます。


自分への存在証明。それを求めてるんだなって思っています。そしてそんな僕を支えてくれる、指摘してくれる、助けてくれる、一緒に笑ってくれる人たち。家族、茨城いすゞ従業員、HakkoLabクルー、そのほかの仲間たちに感謝と還元したい。

そして一緒に地域盛り上げたいなって思っています。

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