ァハァッ

最近は怠惰を極めているので、椅子には座らず布団に横になっておおよそ舐め切った体勢で映画を見ている。ボリボリとふとももを掻きつつ、未だ慣れない坊主を手でジョリジョリと撫でてやりながら屁をこいたりし、今日はアルトマンの『ロング・グッドバイ』なんかを鑑賞しましたところ、面白かったものですから、フー、面白かった、仕事でもせねば、と布団から立ち上がるとき、「ァハァッ」と息を漏らしている自分に気が付く。これは「よいしょ」と同じで、半ば意識的に、それも自分でも気が付かないほどの薄い意識で発しているものだと思うのだが、これはまごうことなき被害者意識によって繰り出されているものだと気づき、静かに恥じたのでありました。

少なくとも私はこの被害者意識というモルヒネを毎秒脳に与えてやりながら生きてきたという自負がありますから、時たまこういった自身の細部に気付いては顔をゆがめてしまいます。立ち上がる時に「ァハァッ」なんて恥も外聞もなく発することができてしまうのは、自分こそが被害者であるという思い込みのあらわれに他ならない。一体なにに向けての吐息なのか。寝転んでいるのが、立ち上がるときの、身体への微々たる苦痛を、あたかも「くらっています」というように表明をしているのである。類似するものではありながらも、「よいしょ」とは決定的に違う。「よいしょ」というのは苦痛への敬意があるが、「ァハァッ」というのは苦痛への中傷でしかない。何が「ァハァッ」なのか。ただ寝転んでいただけの奴が。アホではないのか。身体への苦痛と、立ち上がるという行為による精神的な苦痛を、「私は今、くらっております」と、そう表明しなくっちゃ気が済まないのである。アントン・シガーは果たして、寝ている状態から立ち上がるときに「ァハァッ」なんて声を出すだろうか。鼻から息が漏れることはあっても、明確に「ァハァッ」などと発音して被害者根性をむき出しになどしないだろう。ハリー・パウエルだってそんなことはしないはずだ。だが、城戸はそういうことをする。自分を守る術を知り尽くした人間は、「ァハァッ」などという発音を、意識せずとも、ノドがはっきりと覚えているのだ。

それじゃあ、ノドをかっ切ってやればいいかもしれない。しかし、そうしたところで、俺は「カポカポ・・・グポポ」などという声を出すに決まっている。血もさぞ赤いことだろう。ァハァッ…… 失敗だ こんな日は っんとにI’m so tired……

ここから先は

0字
月100円で読めるものの中で一番おもしろいです。

日記やアイデアや見た映画や告知など、忘れないほうが良さそうなことを記録しておきます。頑張ります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?