金への執着

自分は金への執着があるのか、ないのか、分からない。ケチって食事を抜くくせに煙草を吸っているし、死ぬほどサブスクに加入している(Netflix、Amazonプライム、シネフィルWOWOW、U-NEXT、AppleMusic、TSUTAYAプレミアム、DMM宅配レンタル、PlayStationPlus)し、さらにポルノに月々5000円ほど使っている。合計金額を計算するのが恐ろしいくらい俺はサブスクに溺れている。当然金がない。当然金がないので服も買えないし、メシも行けないし、バイトに行かなければならないし、毎日健康を損ない続けている。

俺が映画が好きだから、とか、そういう優先順位的な話ではなく、単に大まかなイメージで金を恐れながら、小銭の一枚一枚からは目を背けているだけに過ぎない。分かりやすく言うと、”貧困”という巨獣を目の前に、金を踏みながら後ずさっているような状況だ。まさしくそうだ。間違いない。俺はここまで自覚している。はっきりと自分の性質をよくわかっている。

なのにも関わらず、解決を試みることも対策を講じることもしない。したくてもできない。極度の潔癖症患者は、部屋を掃除することができないという。ゴミを片付けるためには、ゴミに触れなければならないからだ。城戸も同じ。浪費をなくすために、浪費を目の当たりにしなければならない。そんなのは耐えられない。

そもそも、”執着心”というものは何だろう。身に覚えがない。スティーヴン・キングの『ミザリー』か?あれは偏愛である。片思いをしていた女性に1年間告白し続けたことがあるが、あの心理を執着という言葉で片付けたくはない。執着という言葉を調べてみると、『ある物・事に強くひかれ、深く思い込んでどうしても忘れ切れないこと。』とある。無い。この語意に則って言えば、俺は映画が好きで膨大な数の映画を観てきたが、それも執着とは少し違う。執着するには、冷静さを欠く必要があると思う。俺は映画に対して冷静さを欠いたことなど一度もない。映画が俺に何かしてくれたことはない。

こうして思えば、今の俺に足りない、どころか、味すら知らないのが執着心だ。きっと人生を彩るのは執着心である。ペドロ・アルモドバルの『トーク・トゥ・ハー』という映画を観たことがあるでしょうか?植物状態の女性を愛し、一途に思い続ける男の話。執着とは愛、そして愛とは無自覚なんであって、こんなことをグニャグニャ考えている俺に執着も愛も訪れないのである。

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