俺のシンクだけ凄まじい速度で汚れる

台所のシンクというのは、漢字で書くと「辛苦」となり、存在するだけで人間を苦しめる代物である。こちらは汚すつもりなどさらさら無いというのに、どうしてあんなにも、こちらに指を差すように汚れるのか、まったくもって理解ができない。屁を吹きつけたり、ウンコを叩きつけたり、俺がババコンガのような接し方をしていたとするならば仕方もないだろうが、一日に一度、一菜をこしらえ、フライパンを放置しているだけである。俺にとって台所のシンクとは、ただそのためだけの場所なのだ。

しかも、その一菜とはたいてい、麻婆豆腐である。シンクというのは、漢字で書くと「真紅」となるように、麻婆豆腐であればなおさら、赤く汚れるはずである。しかし、なぜか、俺のシンクはいつだって茶色そのものなのであって、俺は茶色いともう、ウンコとしか思えないので、その汚れに指を差して「ウンコ」と宣言する毎日を送っている。

最近はよく、キノコと豚肉を煮込んでごま油と塩と鶏ガラで味付けをした簡易的な鍋をよく食べている。確かにこの材料ならば、汚れが茶色になってもおかしくないだろう。しかし、俺は鍋を作ったとき、必ず完飲するのである。シンクにハッキリと茶色を残せるほど、鍋の中身を残したことはない。そもそも、これを食う頻度はそう高くない。準備が面倒くさいし、一食400円ほどかかって、経済的とは言えないからである。

にもかかわらず、俺の台所のシンクは常に茶色い。何度スポンジでこすっても、次の日には茶色くなっている。もしかすると、これは汚れではなく、たとえば木製の家具や楽器なんかは、時が経つにつれ徐々に表面の色が変わっていく。外部の光に当てられて変色していくのだ。台所には、玄関横の窓から常に自然光が与えられ、真上には小さな蛍光灯もある。シンクが光を浴び、わずか数十時間で、茶色へと変色を遂げているのかもしれない。仮にそうなのだとすれば、俺のシンクは相当に趣味が悪いと言わざるを得ない。どうしてわざわざ、銀色から茶色へと変貌するのだろう。

なぜ茶色なのか。これは難しい。ヒッチコックは、マクガフィンというものを好んで使用した。物語を進めるためならば、それが核兵器であれ、ダイヤモンドであれ、大統領であれ、何だってかまわないとする、作劇上の概念である。とすると俺の台所のシンクの汚れだって、何色だってかまわないところを、たまたま茶色であっただけで、シンクが汚れる、それによって生まれる運動こそが重要なのかもしれない。俺は赤が良かった。もしかしたら、何かの因果で、俺の意思すらも、シンクの変色に何らかの影響を及ぼしているのかもしれない。シンクというのは、英語で書くと「think」となる。つまり、考えなくてはならないのだ。

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