新卒社会人へのメッセージ

私は妻にもう飽きてしまった。仕事から帰って妻を見てもおーとしか思わずオーースオスオスと思うことができないのだ。太宰治を片手にひとりで帰り道を歩いていた美しい女学生の面影はなく、ただのかわいたタコである。妻は牛乳を買ってきてくれと言うのだが、牛乳が売っている店は家からかなり離れたスーパーか家のすぐ近くにあるコンビニの2択しかない。

「牛乳を買ってくれと言ったって、かなり遠くのスーパーまで行かなくちゃいけないじゃないか。仕事帰りで疲れているし、タクシー代も馬鹿にならないじゃないか」

「すぐそこにコンビニがあるじゃない」

こうである。参ってしまう。私は遠くのスーパーに牛乳を買いに行く場合の話をしているのである。こんな得体の知れないタヌキ女を抱いてたまるかという気になったのはこの牛乳事件が起こって以来である。この牛乳事件に関しては何度でも説明ができる。私は腹が立ったりひどく呆れたりした出来事はかなり鮮明に覚えており、それを人に説明したいという、激しい説明欲に襲われるのである。

「ただいま」

「おかえりなさい。お風呂沸いてるわよ」

「風呂か。ところで2年前の牛乳事件のことなのだが」

私は妻に性欲を覚えなくなった代わりに、説明欲をぶつける。妻は物を知らない。それだけなら可愛げもあるだろうが、くわえて頭が阿呆なのである。爪切りは本来、爪を切るものではなく別の用途に使うものであったが偶然にも爪が切りやすいために爪切りと呼ばれ爪を切るのに使われていると、妻は本気で信じている。どうせなら人工地震とかを本気で信じればいいのに、妻は出どころもわからない爪切り嘘情報を本気で信じているのだ。

「寛平さんがそう言ってたから」

間寛平がそんなことを言うわけがない。間寛平が何かを発音したことはない。空腹の際にノドが鳴るだけである。

「いってらっしゃい」

仕事に向かうことも苦痛であるというのに、毎朝というもの漁船のごとく太った頼り甲斐のある妻に見送られる屈辱にも耐えなければならない。妻は今日も一日頑張ってねなどと言うが私は頑張りなどしない。会社に着き、デスクに座り、トレンチコートを脱いで椅子の背もたれにかけ、裾が床につきまくってあーん汚いと思うだけである。生きていくだけの収入と引き換えに、鋼の尊厳を捨てている。

「初めまして。今日からこの部署でお世話になる森田美奈子と申します。よろしくお願いします」

若い女だ。抱いてほしいのか?持ち前の淫乱さを形にし、匂いにし、味にして、私の五感にぶつけてきている。この女をヤスリで粉末にすれば、スヌープドッグが鼻から吸引するだろう。ドスケベであることを隠そうともしない、若さゆえ、隠す術を知らないのだろうか。哀れな丸腰の雌豚である。小鳥の鳴き声を聞かせてやりたい。ひどい匂いだ。人間は性器だけで構成されているわけではないと知っているだろうか。まったく、少しは謙虚さを持ち、恥じらうべきだ、若い女よ、その長い黒髪の一本一本にまでホルモンをたぎらせ、ひんむいた目玉で私のチンポを大発見、それに向け強烈な淫靡光線を大発射している。会って10秒で、セックスアンテナが既に3本立っている。セックスアンテナ3本はもはやセックスアンテナ5本と言っていいだろう。色が白い。肌の色が全体的に白い。肌が白いからか、首が白い。日に焦げた茶色女はドスケベであると相場が決まっているが、キャンパスのような真っ白女も決まってドスケベである。若い女は全員淫靡淫乱の精液泥棒なのであり、もうたまらないのである。太陽が昇らなくなっても安心だ。代わりに若い女たちが男たちの精液で空を白ませることだろう。

「じゃあ仕事終わりに1階で」

「え、何ですか?」

「森田さん。仕事終わりに1階のエントランスで待っていてくれ。すぐに向かうから。2度言わないとだめかな?」

「わ、わかりました…」

メスの下品なホルモンをスプリンクラーでまき散らかしておきながら、こんなにもとぼけた顔ができるとは。やれやれと時計を見るともう15時。退勤まであと2時間だ。セックスまではあと3時間弱といったところか。今日はひどく疲れた。お昼頃、お茶を運んでいる事務のおばさんに「どんだけのろのろ歩くんだよ。まったくのおばさんだな」と発したところ、ヒザを蹴られてしまったのだ。人を蹴ることができるなら事務職などやらなくていいだろうに。なぜ人は選択を誤ってしまうのか、と痛む右ヒザを撫でながらひょっとした。これではセックスに支障をきたしてしまうのではないだろうか。

「もしもし。私の妻か?会社に長田さんって事務のおばさんがいるのだが、ヒザを蹴られてしまったんだ。右だ。向こうは左だが、要するに、左の足で私の右のヒザを蹴ったんだ。彼女はお茶を運んでいたのだが、そういえばお茶は無事だろうか。私はおばさんにおばさんと言っただけなんだ。青になったから進むのと同じ。まったく理不尽なヒザの痛みだよ。理不尽といえば牛乳の件だ、何だあれは。スーパーまで歩いて牛乳を買えってのか?馬鹿らしい」

「近くにコンビニがあるじゃない」

「屁理屈を言うな。ともかくだ。私の右ヒザの痛みが、今夜のセックスに支障を来たしかねないんだ。参ってしまうよ」

「セックス?あなた、もう何年も私を抱いてないじゃない。どういう風の吹きまわしなの?」

ミスった。今夜セックスをすることを、妻に話してしまった。私は妻に説明欲をぶつけたかっただけなのに。畜生、ただ幸いにも、妻はセックスの相手を自分だと思っている。仕方がない。帰宅して妻も抱くしかない。最悪だ。ニワトリを抱くほうがよっぽどマシである。

「たまにはいいじゃないか。きれいな下着をつけて待っていてくれ。それじゃ」

電話を切っていやだいやだなんか甘いの食べたいと叫んでいると、雨が降りだしてしまった。フン、セックスレインか…。

「お待たせしました〜」

小走りでエントランスにやってきた性獣ドラゴンプッシーバトルセックスこと森田美奈子は、スーツの上にダウンコートを羽織った出で立ちで現れた。その若きメスホルモンをダウンの羽毛で隠せるはずもなく、私の股間は既に正気を失ってしまった。

「誘ってきておいて遅刻かよ。早く、急ごう」

「え、えっ、ちょっと」

私は彼女の手首を掴み外に出た。降りしきるセックスレインの中、私は山賊さながらに彼女を肩に担いだ。セックスホテルまでこのまま運んでやろう。
その瞬間である。たった今彼女が立っていた場所に、1本のレンチが降ってきたのだ。轟音とともに着地した鉄の塊は、地面のコンクリートに黒い爪痕を残して動かなくなった。

「うおーセックスレンチじゃん」

「えっ、ど、どうしてわかったんですか…?」

「何が?」

「あなた今、私を助けてくれた…。本当にありがとうございます…あなたは命の恩人だわ…」

何を言っているのかまったくわからないが、アナルもOKだということか?


「私…ラブホテルって初めて来ました…すごい赤いんですね…」

私もこんなに赤いとは思わなかった。年齢ゆえラブホテルは初めてではないがこの赤さは、いや、ラブホテルでなくとも赤そのものとしてこの濃度の赤は、初めて見るものであった。

「目が痛いな。赤すぎる」

「ねえ、気にしないで。一緒にお風呂入りませんか?」

「イク」

この女、一緒に風呂入りませんかと言ったのか。一緒に風呂に、裸でふたりで、手と手を取って、光と影、子供の頃、父親と海に行ったとき、その美しさを目の当たりにし、思わず眼鏡を外した父をカッコいいと思った。裸眼では私の顔すらわからない父親が壮大な青の景色を前に視力を捨てたのだ。目に見え耳に聞こえるものと、確かに胸で、または頭の近くで何かが脈打ち感じるものは、あるときなぜか結びつかず、矛盾を生む。鹿が鳴く。生命の活動は、活動的なひとつの塊となり、生物の内側をとてつもない速さで走り続けている。美しい数字の配列…28359018、162、0000、光にたとえても足りない速さで、あらゆる物質に共通するひとつの、核ともいえるものが私の内側を駆け巡り、下のほうから飛び出していった。

「えっ…嘘はや…いや早いっていうか…お風呂誘っただけで…?病気?」

妻に会いたい。その気持ちに嘘はなかった。何かに頭を支配されていたのだ。思えば2年もの間、射精をしていなかったか…。この赤い空間を抜け、妻の待つ家へ…。

「じゃあまた。おまえ仕事辞めろよ。明日から来るなよ。おまえみたいなのがパソコンなんか使うんじゃないよ。公衆電話がよ」

「公衆電話?」

森田美奈子は赤い魔物にくれてやる。牙の生えたドアを閉め、私はホテルを飛び出した。家に向かって全力で走った。右ヒザが痛むが、一刻も早く妻に会いたかった。平成は令和に変わり、セックスレインはラブレインに変わった。

「おかえりなさい。血相変えてどうしたの?」

座布団がしゃべってるみたいだな

「とりあえずお風呂入っちゃえば?」

座布団が風呂を勧めてくるぞ

「一緒に、入らないか」

妻は床に悶え動かなくなってしまった。
病気か?

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