ありふれた日々の平凡な幸せ=クソ

たまに創作物や、人間たちが、日々の生活を愛そう、それはとても、幸せなことなのだから、というようなことを喋っていて、その代表例が映画『アバウト・タイム』なのであって、あろうことか『アバウト・タイム』のドーナル・グリーソンは、時間を操ってヒロインをゲットし時間を操って死んだ父に会い時間を操って誤りを直し、というのを繰り返したあとに、「ボクはもう能力は使わないのさ。何気ない日々の美しさに気が付いたからだ」というようなことを言いくさる。時間を超越し、神となり、タイムトラベラーとしてスクリーンで小さな冒険を繰り広げたあとに、そんなことを抜かし、急にこちらとの距離を詰めて来る。気持ちが悪いから顔を近づけてこないでほしいのに、「キミの人生はさも平凡であろうが、それがどれだけ美しいものか、極めて非凡なるボクが教えてしんぜよう」と呟いてくるのだ。

こういうことは、あらゆるものに当てはまる。この俺だって、誰かから見ればドーナル・グリーソンであるだろう。「城戸は、楽しくやっているくせに、楽しい時間と楽しい時間の隙間に卑屈な物言いをし、楽しい時間には無言でチンポをこすっている」と、そう思われても仕方がない。なぜなら、それは、まったくの事実だからであり、俺だって城戸じゃなければ、城戸にそう思うに違いない。『BIUTIFUL/ビューティフル』にてひどい境遇でもがいているハビエル・バルデムを見て「お前はペネロペ・クルスと結婚した金持ちだ」などと、ハビエル・バルデム自身の様々な細部についてまったく知らぬまま恥知らずにも考えてしまう俺は、それなりに楽しくやっているくせに、ずっと、旅に出たいのである。俺が今、どう暮らしていようと、現状から脱却し、旅に出たい、と考えることを、やめるつもりはないし、それは、この先もやめてはならないのである。

だから、周りの友人たちやインターネット上で、「今の暮らしでよい」と満足できる人を見るたび、「どうしてそう悲しいことを言うのか、そんな暮らしは放り捨てて、アメリカまで泳ごうぜ」と思わずにはいられない。金も、名誉も、愛も、いくら満ち足りたって、自分は幸せであるなどとは考えてはならない。それは体制への敗北を意味し、世界への敗北を意味するのだ。人間の幸せとはただひとつ「解放」なのである。

まあこれは冗談で、こんなマッチョなことを考えているわけではないが、でも、旅に出たいと思うことを忘れてはならないと強く思う。最近、『仮面の報酬』を見て、旅に出たいと思うのを更新した。旅に出たいと思うのは定期的に更新しなければ、根っこが生えてしまう。車なんか遠くに飛ばして、後部座席から助手席の人間の首を絞めて遊び、海を目撃して思わず力をゆるめたいのである。だから俺はこの先どんなに良いことがあって楽しいことがあって至上の愛を手に入れたとしたって「人生はクソ。旅に出たい」と言い続ける。

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