山野高知 貴(17)
恋愛漫画なんかを読んで素直に純愛に憧れ、いつか素敵な出会いがと考えながら歩いていると、通学路の角から食パンを咥えた女の子が「遅刻遅刻~!」と飛び出してきた。避ける暇もなく正面からぶつかってしまい、「もしかして、これはその、何らかの出会いなのでは…」などとときめいたのも束の間、「ハフッハフッハフッ」と腰を押さえながら倒れたまま動かない彼女の様子を見て怖くなって119番、お見舞いに行った病室で「あ!あんたさっきの!」と指を差されたところでロマンスが始まるわけもなく、本当にすみませんでしたと深く頭を下げ、この身体の可動域に恐れおののいているであろう空気を頭頂部に感じながら誠心誠意の謝罪と共に、俺の人生というのは基本的にこんな感じだな、と不肖ながら被害者意識を芽生えさせた自分に嫌気が差すところまでがセットで悲しかったのである。
さいわい大事には至らず、「今回は愛美の不注意でしたから」と相手の両親も笑って許してくれた帰り道、ラグビー部主将の松田がまた声をかけてきた。
「背中」
松田は何としてもラグビー部に俺をスカウトしたいらしく、最初こそ「ラグビー部に入らないか。君ならきっと活躍できる」と正統派の文句をぶつけてきたのだが、俺があまりになびかないためか徐々にカロリーを抑えるようになり、「ラグビー部に入らない?」→「ラグビーどう?」→「ラグビー」→「背中がでかすぎる」→「背中」という風に勧誘が変貌していった。すれ違うたびに「ラグビー」と囁かれるのも意味が分からなかったが、ただ「背中」とだけ言われるのはもっと意味が分からず、初めて言われたときは背中に虫でもついているのかと思いその場で「ヒャッ」と飛び跳ねてしまい、着地の衝撃で上昇し川へと落ちて行った松田を見て「節操のない奴だ」と思ったのを覚えている。
「俺にスポーツは無理だよ。それに、俺と関わってたらまた川に落ちるぞ」
松田はさらにこう食い下がってきた。
「もうラグビーはいい。俺は地面から上昇して川へと落ちて行ったあの体験が忘れられない。もう一度やってくれないか」
松田は俺がまたヒャッと飛び跳ねることを期待して「背中」と声を投げてきていたのだ。なぜだかは分からないが、俺にとってそれは悲しいことだった。松田は俺のことを、ただの都合のいいドンキーコングか何かだと思っていたのだ。ドフレという言葉が浮かび、その瞬間に何もかもが嫌になった。
「もういい。帰る」
「なあ、ちょっと待ってくれよ。お前は一度ジャンプして着地するだけで大地を揺るがすことができるんだぜ。これって単に体重の話なんかじゃなくて、お前だけが授かった能力なんだよ。すごいことだろ。どうしてもっと自慢しないんだよ」
「何がすごいんだよ。俺はこの先ジャンプをすると地震速報が流れる人生なんだぞ。自分が上昇したいからって調子のいいこと言ってんなよ。バカが。自分で落ちればいいだろ。気持ちが悪いんだよ」
俺は180cm90kgの巨体で運動音痴でプラモデルが趣味で淡い初恋に焦がれるような一面を持ちつつも、めちゃくちゃ相手に強く出れる。ガタイが良いのに運動音痴な男は繊細な性格だなんて誰が決めたのか。そういった世の中に蔓延する意味の分からないセオリーが、松田のような男をのさばらせる。かく言う俺も「通学路の角で運命の女性とぶつかる」なんて実例皆無の定説にとろけていたから人のことなど言えないのだが、俺は自分さえ良ければそれでいいのだ。
「分かった。確かにその通りだな。じゃあ、ジャンプはしなくていいから、俺をどこか遠くに投げてくれ」
松田は飛翔を望んでいるようだった。ラグビーでの彼を、皆は「翼が生えているよう」と形容する。一歩一歩の重い足音さえ聞こえてこなければ、確かに彼はフィールドを飛んでいるようにも見える。しかし、それでも足りないというのか。全国大会でも主将として輝かしい成績を残し、翼はサッカーだけじゃない、とまで言わしめた彼は、それでも飛翔を夢見るというのか。
「今、俺にムカついてるだろ?それなら、俺を遠くまで投げ飛ばしてみろよ。そうすることで俺はもちろんだし、そちらも得になりますよ、って話」
「なんでマルチの喋り方なんだよ」
「いいから、頼むよ。こないだの上昇が忘れられないんだよ。確かにお前がここでジャンプするのは他の人の迷惑にもなるから、投げ飛ばしてくれればそれでいいから。川に向かって投げてくれればさ、別に俺は無傷だから」
「お前の心配なんかしちゃいないよ。大体、お前だって相当ガタイいいだろ。俺がひょいと投げ飛ばせるわけないだろ」
「本気で言ってるのか?お前なら俺なんか簡単に投げ飛ばせることくらい、本当は自分でも分かってるんだろ?別に格好をつけるつもりはない。俺はただお前に投げ飛ばしてほしいんだよ。何の大義名分もないし、見返りだって用意してない。理屈なんかなくて、ただそうしてほしいから、こうやってお願いしてるんだよ。頼むよ」
「そうやって開き直ればいいと思ってるんだろ。お前みたいなやつは、そうやって自分の欲求にまっすぐにいればそれが誠実だと思ってるんだよ。どれだけ自分に自信を持ってるのか知らないけど、ちょっとは人のことも考えてくれよ。お前のキラキラした汗だって、近くで嗅げば臭いんだよ。分かるだろ」
「お前自身が苦しんでいるお前の性質を、俺は良いものだと思ってるんだよ。お前は力が有り余るばかりに、目立たず慎ましく生きることを自分自身に強いられてきたんだろ。でも俺は、お前のその力は欠点じゃなくて素晴らしい長所だと思ってるんだよ。だからこそ、俺にぶつけてほしいんだよ。それに、俺はそれを本心で望んでる。だから、何の遠慮も要らないんだよ」
「なんでお前は俺の性質が俺にもたらす影響まで分かったつもりでいるんだよ。お前は神なのかよ。俺は自分の性質を大して気に入っちゃいないけど、それをどう使うかは自分が決めるよ。お前が俺のポルノになりたがるのも気味が悪いし、だいたい俺の足元に片膝をついて気持ちよくなってるのはお前のほうだろ。俺が何をしたんだよ。俺はお前の考えや欲求なんか関係なく、ただ歩いて帰ってゴシップガールを観るんだよ。それだけなんだよ」
「お前こそ今そう言ってて気持ちがよかっただろ。さっきも言ったように俺は開き直ってるんだよ。お前に何と言われようが、俺は自分の欲求をお前にぶつけてるだけに過ぎないんだよ。お前だって俺を遠くに投げ飛ばすことはまんざらじゃないだろ。単にお互い得だから頼むぜって理に適った話だろ。俺を阿呆にしたいのは分かるけど、お前が俺に憤ってるように、お前だって俺のことを間違えてるんだよ。どうせそれを聞き入れようともしないだろ。お前は人のことを考えてほしいんじゃなくて、自分のことを考えてほしいんだよ。自分のことを考えてもらうために、他者にレッテルを貼って攻撃してるんだよ。お前は自分の肉体的な力をどこかで耽美なものだと分かっていて、その認識がお前の言葉や行動を決めてるんだよ。分かるかバカ。力をどう使うか自分が決めるなんて抜かす前に、ちゃんと自分で制御しろよ。お前は攻撃をしてるんだよ。いつ気付くんだよ」
「俺が先にお前を攻撃したとして、それが何なんだよ。じゃあ離れていくか、後ろから思いっきり殴ればいい話だろ。それなのにお前は俺とすれ違うたびに自身の力を恐れる心優しきオークというレッテルを貼ってきたんだろ。俺がそんなものを享受するかよ。情けなくないのかよ。結局寄り添うフリをしてチンポ握ってほしいだけじゃねーかよ。俺はずっと、放っとけよ、と言ってるんだよ。俺の力が俺の言動にどう影響しているかなんか知らねーよ。俺はただ歩いて帰ってるだけなんだよ。お前にそこまで思考を巡らされる筋合いすらないんだよ。俺のこの性質が今は暴力的に作用しているとしても、いつか何かを結ぶかもしれないだろ。そういうのを全部含めて、俺についての思考は俺の仕事なんだよ。あとお前、こっち来いよ」
「え?」
「こっち来いよ。投げ飛ばしてやるよ」
「いいの?」
松田は「今までの何だったんだよ」といったニヤケ面で近づいてくる。俺は松田を振り向かせ、彼のケツの下から手を通して胸倉をつかんで持ち上げ、そのまま前向きに倒れ込んだ。
「は?」
松田は「は?」という顔のまま地面にのめりこみ、自分の背骨に顔を貫かれて絶命、俺はなんとか彼を地面に刺さったままにしてやろうとぐらぐらバランスを取り、やっとの思いで死体を垂直に安定させることに成功した。前かがみになって前田と直面すると、目の前には幾多のフィールドを飛び抜けたヒザがある。なんだか感慨深くなってどっと疲れ、うしろに倒れ込みそうになりながらもそっと尻もちをついた。
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