受動喫煙防止条例?

来月から東京都受動喫煙防止条例というものが法的に施行されるらしく、とはいっても受動喫煙防止条例って何なのよ?という方が多数だと思うし、ずっと前から言われていて、まあ先の話だ先の話だと一切考えずに来た結果、いよいよ残り1か月を切ってしまった。受動喫煙防止条例とはいったい、何なのか、自分なりに調べてみたので、まずはここで軽く要点を説明しておきたい。

受動喫煙防止条例とは・・・

――喫煙者の皆様、死んでください。


と、いうことらしい。一応、無知なりに調べてみた結果なので、もしかしたら語弊や間違いがあるかもしれないが、概ねこんな感じだろう。

要するに、喫煙者はくさいので死んでくださいということだ。私自身も喫煙者だが、正直これは仕方がない。喫煙者はくさく、不愉快な存在であることは否定できない。喫煙者より、非喫煙者のほうがマトモな人が多い。吸わない人と吸う人が、半ば敵対しているかのような状況になっているのは、間違いなく喫煙者に非があるだろう。くさいし品が無い。煙草を吸うのは罪ではないが、煙草を吸わないほうに比べれば罪である。地獄に落ちるのは前者で間違いない。

ただ、いくら煙草が嫌いな人でも、一度だけ真剣に考えてみてほしい。この日本社会から、喫煙者がいなくなったらどうなるか。

日本社会から喫煙者がいなくなったら・・・

――くさくなくなる


そう、喫煙者がいなくなれば、くさくなくなるのだ。くさくなくなるのはいいことである。くさいより、くさくないほうがいい。喫煙者は、ニコチンに依存しているだけの、立派な病人である。これまで何度も値上げされ、周りから忌み嫌われ、病気になる可能性が倍増するというのに、それでも煙草を買い、吸い続ける我々喫煙者のことを「気が狂っている」とまで言う人がいるが、決して過言ではなく、本当にそのとおりだと思う。

嫌煙者にとって、喫煙者は害でしかない。「多く税金を払っている」なんて詭弁である。払わなくていいものをわざわざ払っているのは我々だ。自分たちが、まっとうな理由で嫌われていることくらい、喫煙者はしっかりとわかっている。
なのに、なぜ吸うのか。金もかかるし身体に悪いしくさいのに、何故そのリスクを背負ってまで煙草を吸い続けるのか。

なぜ煙草をやめないのか

もう果てしなくおいしくて、果てしなく気持ちよくて、とにかく安心して、自分の健康を害し、寿命を縮ませることがもはや快感に変わってしまっているからである。

人間だれしも、自暴自棄になってしまうような瞬間はあると思う。仕事で失敗したとき、恥をかいたとき、失恋したとき、大切なものを失ったとき…。ただ私は違う。私は、ずーっとうっすら自暴自棄なのである。死にたくはないが、死にたさメーターは確かに目盛りを刻み続けている。ニコチンをガソリンに、タールをエンジンにして、死へと突っ走ることに、一縷のロックンロールを感じているのだ。


話が逸れてしまった。受動喫煙対策について、つまるところ何が言いたいのかというと、それが正義だということです。正義はさみしいもの。正しいことは、どうしたって受け入れなければならないのです。4月から、がんばっていきましょう。

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