手を伸ばせば届くのか?

こんにちは。
突然ですが、欲しくても手に入らないものってありますよね。
一軒家、著書、5億、外人の彼女、圧力鍋…
挙げてみればキリがありません。
しかし、いま挙げてみたものを手にしている人がいるのも事実。
もしかしたら、こんな自分でも、手に入れることができたのはないか?
あの時、ああしていれば、こうはならなかったのかもしれない…
この考えに頭を支配され、どうにも立ち行かなくなってしまった方も多いでしょう。
欲しかったものは、実は近くにあったのではないか?
振り返って考えてみたいと思います。

小学校低学年だった僕が欲しかったものを振り返ってみます。
それは近所の公園です。
僕が小学生の頃は近くに公園がなかったので、友人たちと遊ぶときは小さい空き地に集まるしかありませんでした。
チビガリだった僕は、みんなで野球をすることになってもゴムボールを用意する係しか与えられず、しぶしぶ買ってきたゴムボールが飛び交うのを地べたに座って見守っているとき、ふと思ったのです。
公園があれば、遊具に座って野球が見られる。
−5が−3になる程度のことに喜びを見出していた僕は、公園が欲しいと願うようになりました。
しかし公園を手に入れる方法なんて、成人した今考えてみても思いつきません。当然、8歳のガキだった当時は座れるブランコ欲しいなーと思いながら地面のバッタを殺すくらいしかできませんでした。
そのまま月日が経ち、僕が小学5年生になる頃、近くに公園が設置されたのです。
しかもその公園は、市の議員であった祖父の立案で作られたと聞かされ、友達に大いに自慢したものでした。
欲しかったものを手に入れたぞ~というワクワクも束の間
すぐに出稼ぎフィリピン人のタコ部屋が隣接され、その人たちがたむろするからこの公園に近づいてはいけないと公園を作った張本人である祖父から言われてしまいました。
一度手に入れかけたものを、すぐに奪われるつらさ。
僕は悔し紛れに「すべり台の静電気がひどくて最悪の公園だった」と自分に言い聞かせ、公園には近づかなくなりました。

公園を失い、僕は家から少し離れた鞍山と呼ばれる場所で遊ぶようになりました。
そこでは遊びに混ぜてくれる新たな友達ができ、楽しい日々が続きました。
鞍山には公園もありましたが、新しい友達を手に入れた僕は公園なんてどうでもよくなっていました。
そんなある日、僕は鞍山でひとりの女の子に出会うのです。
すぐに好きになりました。
顔がかわいく、活発だったからです。
その女の子は僕よりひとつ年上でしたが、すぐに打ち解け、毎日のように遊ぶようになりました。
自転車で鞍山を競争したり、川から公園までの最短ルートを研究したり…
夏でした。
もうめちゃくちゃ好きでしたが、小学生の僕は当然、その子をバカにし続けました。
お互いの信頼の上に自分の軽口が成り立っていると、その子が泣き顔を見せるまで思い込んでいたのです。
必死に謝ると、ウソ泣きだよーださいねと言って笑って許してくれました。
本当にウソ泣きなんだと思った僕は人を騙すと地獄でナメクジにレイプされるんだぞと言い残し自転車に乗って帰ろうとしました。
その女の子はちょっと待って!と言い、僕の自転車のカゴに紙切れを入れました。
あとで読んで!
学級王ヤマザキの面白いページか何かだと思った僕ははーいとだけ言い家に帰りました。
部屋で紙切れを開いてみると、好きです。これからもいっぱい遊んでねと書いてありました。僕はその子に会うのがたまらなく恥ずかしくなり、2度と鞍山に行くことはなくなりました。
両想いだとわかったところで、どうすれば良かったのか?
恋なんて、人を好きになるのが精一杯で、その人とどうなりたいかなんて、考える余裕もないものです。
ただ、それでも一言、僕も好きですと言えていれば、何か変わったかもしれません。欲しかったものが、手が届くどころか、こちらに走ってきていたというのに、僕はなぜか逃げてしまい、悲しいことにそのまま逃げきれてしまったのです。

僕はその思い出もすっかり忘れ小学6年生になりました。
学校の友達と放課後に自転車を20分漕いでコンビニへ行き、ブタメンを買って食べるのが世界で一番楽しい遊びだと思っていた時期です。友達が繰り出した、お湯を入れたブタメンに付属のフォークを刺して蓋を止めるという技にひどく感動して少し泣いてしまったことをよく覚えています。
腹ごしらえの済んだ僕らは適当な広場に行き、石をバットで打って飛ばすという世界で二番目に楽しい遊びに興じました。
その時のメンバーは、僕と、友達と、友達の弟の3人。
しばらくすると、友達がトイレに行ってくる、とその場を離れ、僕と友達の弟の2人になりました。
何を話せばいいのかわからない僕は石を投げ続け、友達の弟はそれをバットで打ち続けました。
するとパリーン!民家の前に駐車してある車のフロントガラスを割ってしまったのです。
僕は一瞬で色々なことを考えました。
周りには誰もいない、今逃げればバレない、それに打ったのは友達の弟だ、俺じゃない、ここで逃げることは、罪が怖いわけじゃなく、友達の弟を守るということなんだ。
やばい、逃げよう!と僕は言いました。
すると友達の弟は、謝りに行く、そう言って車の傍の家のドアを叩きました。
自分より3つも年下の子供のほうが強かったのです。
ガラスの割れる音が響き、一瞬でフル回転した脳みそは、僕から誠実さをそぎ落としてしまった。
自分が代表してふたりで一緒に謝りに行く、そんな簡単なことで筋を通せ、人間として何かを学ぶことができたのです。それでも、保身に走ることしか考えられなかった。自分に強さがあれば、とふわふわしたところに責任転嫁をしながらひとりで家に帰りました。
次の日、車の持ち主は弟の頭を撫でながら笑って許したと、友達から聞きました。
友達の弟は、僕が帰ったあとひとりで石を投げていたら割れた、と説明したそうです。
情けなさすぎる…

中学時代は何も起こりませんでした。
本当に何も起こりませんでした。

高校3年生の冬、工業高校生だった僕は就職活動も終え、自動車学校に通い始めました。
何の取り柄もない僕でしたが、教習車の運転だけは割と器用にこなすことができ(免許を取って自分の車を運転するようになってからは半年で3回事故りました)、順調に仮免許試験まで進みました。
運転余裕だし余裕だろと余裕をぶっこいていた僕は一時停止を忘れ優先道路に突っ込んでしまい即失格になりました。
雨も降りだし、落ち込んだ僕はフードを被ってバス停まで歩いていると、傘を差した女の子が僕の傍へ駆け寄ってきました。
残念だったね、ほら濡れちゃうよ
知らない女の子ですよ、こんなことあります?
一瞬で好きになってしまいました。
詳しい部分は割愛しますがとにかく好きすぎたため、その子が自動車学校を卒業する日を聞き出し、待ち伏せすることにしました。
卒業試験は不合格の人からその場で帰宅、合格者は手続きも合わせ最低でも4時間は拘束されるということだったのでいつその子が出てくるかわからず、じっとエントランスで待ち続けるしかありませんでした。
合格証書を持って現れたその子の前に立ちふさがり、ついに人生初の告白をしました。我ながらすごい行動力だったと思います。
結果はNO。当然です。
それから2回だけ食事に行きましたが、結局その子は遠くの大学に行ってしまいました。
その子と出会ってから振られるまであまりに一瞬だったため、いまいち消化の仕方がわからず、モヤモヤしたまま僕は社会人になりました。

何とか仕事にも慣れてきた12月のクリスマスの日、仕事中にその女の子から連絡が来ました。
9か月ぶりの連絡です。ドキドキしながら電話をかけると、帰省をしてるから食事でもどうか、とのことでした。
ヤッターいきますと言い仕事を切り上げてその子の家まで車で迎えに行きました。車中でうおーーーーーかわいーーーーーーーーーーーーと思い切り叫んだあと深呼吸をし助手席のドアを開け、その子を乗せました。

食事を済ませ、帰る前に車で休憩しよか、とまた2人で車に乗り込みました。食事中は何にも大した話ができなかったので、なんとかここで挽回したいという気持ちはありましたが、僕はこのふわっとした空気もいいもんだなと少しリラックスした状態でした。
ですがその空気感は、女の子のある一言で一気に張り詰めてしまうのです。
今日ストッキング破れちゃったんだよね、触ってみて?
女の子は太ももの裏側を撫でながら言いました。
俺は童貞だぞ
それほぼ尻だろ
その場所はあまりにもまんこに近すぎる
手を伸ばせば届くのか?
悪魔に睨まれてるみたいだ
僕はなぜか必死に平静を装おうと、
そこ尻じゃん 触れないよ
と言い、そのまま車を走らせて家まで送りました。
それ以来、その女の子とは会っていません。

欲しいものは、すべて近くにあったのです。
あまりにも、まんこに近い場所に…

最近、地元の友達に会って、あの公園の話になりました。
友達はこう言いました。
あのフィリピン人、みんないい人だったよ。


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