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人事を尽くして天命を待つ

普通の空気が
貴重になっている今

いつまで
どこまで
行けるかを考えるより

直感に従って
守るべきものを守り
できることを精一杯やりながら
今の時間を味わう日々です。

世の中の匂いから
全く離れることはできないし
自分たちだけで生きている訳ではなく。

かといって
あまりにも強烈な匂いを
受け入れることは本能的に難しく
(ここは分かる方にしか分からない事ですね)

距離を取りながら
身体から抜ける時間をつくっています。

体に異変が出てしまうことは
どうにもお手上げで

幸か不幸か、
家族みんなが
あの匂いをわかることと
身体が反応してしまうので

買い物自体からも足が遠のき
もう以前のように
自由に生活できなくなった反面

深呼吸できる空気のありがたさや
家族との絆を
前にも増して感じられる日常になりました。

もちろん、悲しいことも
たくさん味わいました。

今となっては
「仕方ないな」という思いが強いです。

圧倒的な数の違い
そして、圧倒的な数の母数も
皆、被害者です。
(被害者という言葉はあまり好みませんが、実際、被害者になりますね)

でも
例え交通事故であっても
同じなのではないかなと。

老いも若きも
その時は来る

ある災害で、
人々の必死の救助で生還した若い男の子が
助かった後、運動選手で活躍されていたのに
救助から数年後に事故で突然亡くなったという話に

何か思うものがありました。

https://www.bbc.com/japanese/64645607.amp

人の寿命は
最初から持ち時間が決まっているんじゃないのかなという仮定での考え方です。

その仮定も
自分の中で決定している訳ではありません。

ただ、なんとなく、
子供の頃に見た死神の映画のように
それぞれの長さのロウソクがあるような
天命と呼ばれるものがあるような
そんな気がしているだけです。

状況によっては
何かボーナスのように
少しの時間をプラスでもらえるのかも知れない

できれば
若い世代の人たちや子ども世代に
そのボーナスを満遍なく配当してもらえたらと
願う気持ちが
どうしても湧き上がります

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人事を尽くして天命を待つ

人によって
尽くす人事は様々で

私の場合は
諦めているわけではなく
口に入れる物に気を配り
大地を大切に想い
家族の心身を守ることが
紛れもない人事です

地に足をつけて
心地よく過ごす
穏やかな時間

ふわふわと生きることはできなくて
誰かを断罪する生きた方も合わず

ただ、
感覚に正直に生きるだけ

自分や家族の
残されたロウソクの長さは
わからないけれど

個々に自分らしく
生き生きと人生を謳歌できるように

詰まるところ
この世に蔓延する匂いのおかげで

残りの有限の時間を
家族全員、心地よく過ごすことを
一番念頭に考えるようになりました。

刹那的に生きているのではなく
それほど
世の中の空気は
身体への影響が大き過ぎるのです。

添加物や化学薬品的なものから
遠ざかる生活をしてきたせいかも知れません。

甘ったるい匂い、揮発系の匂い、
化成肥料のような匂い、腐ったような匂い、
ナフタリンのような匂い、

人から出ていることが
あまりにも悲しく
また
その影響が出てしまうことも
とても悲しい。

でも、仕方ない。

悲しむより
何かを責めるより
諦めるより

いまできる事を
楽しみながらする

縁ある者を
守る

できる限りの対策をして
微笑みがたえない暮らしであるように

とても静かだけど
私の人事の尽くし方です。

#シェディング














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