他者を受け入れること

高校時代の国語の授業でこんなテーマの論説文を読んだ。
自分には理解できない考え方でも、「そういう考えの人がいる」ことは受け入れなければならない、存在を否定するべきではない、といった主旨。

国語の教科書に載ってる論説文って、大体気難しいことを語っていて、なかなか興味をそそられる内容ってなかった。

ただ、この文章だけは今でもふと思い出すことがある。こんな考え方があるのかと少なからず衝撃を受けた覚えがある。

理解できない他者を受け入れるのは思った以上に難しいものだ。一番最初に拒絶反応を示してしまうと、そこから受容に繋げることは容易ではない。社会に対する知識が不足していればなおさら。

この論説を読んでから、わたしは自分をとりまく偏見や差別といったものを客観的に捉えるよう意識するようになった。それらに飲み込まれないよう、一歩距離を置く感じ。
それは社会問題になっている男女差別やら人種差別といったものから、身近な人との会話の中に生まれるちょっとしたものまで。
完全にフラットになることは不可能だが、自分の言動によって人を傷つけることがないよう努めてきた。

ただ、意識すればするほど、周りの心無い発言をする人々への嫌悪感に苦しめられることになった。
なぜそんな言い方しかできないのか?自分の目で見てもいないのになぜ決めつけるのか?言われた方の気持ちをなぜ考えないのか?

もちろん、彼らの意見が理解できなくても、受け入れる必要があることはわかっている。
ただ、彼らに欠如しているのは、相手を尊重する姿勢だ。それぞれに考え方があり、否定しないこと。
わたしはこう思うけど、あなたはそう思うんだね。その意識があるだけで、傷つく人はもっと減ると思うんだけどなあ。

色々と理想を語ったが、実際は自分の奥深くに根付く偏見や差別とも戦わなければならないし、意見が衝突してなんだこいつ!と拒絶してしまうことは多々ある。
一生かけて向き合う問題ですね。

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