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銀杏BOYZ 僕たちは世界に帰れないのか?

3月17日、zepp大阪ベイサイドにて、銀杏のライブに行った。

この2年間で、ライブは去年のフジロック以来2度目。この少なさがコロナ禍を物語っているのだろうか。銀杏を観るのは2019年のフジロック以来。

銀杏

グリーンステージのあの日の銀杏ボーイズ。一曲目の”生きたい”。峯田が一人、ギターを弾きながら涎を垂らして歌っていた。あの光景がどうにも脳裏にこびりついて、その後しばらく、その8分超えの長い曲を仕事の行きかえりによく聴いていたっけ。退職する後輩にこの曲のMVを無理やりLINEで送り付け、自分なりの送別の言葉にしたりもした。僕が救われたように、後輩も救われたらいいなという薄っぺらい考えだ。今考えれば、銀杏ボーイズの曲が響く奴なんてロクな奴じゃないことは知ってるけど、その時はその後輩(女子)に対して俺はこんなに素晴らしい世界を知っているんだという、あわよくば的な下心が見え見えだ。恥ずかしい。

大阪にも、やはりロクでもないやつが一定数いて、峯田と同じ髪形にしてるやつとか、峯田がよく着ている感じのジャージを着てるやつ、制服のままライブハウスに来ている女子高生等々、恥ずかしい人間がたくさん集まっていた。そんな僕は銀杏ボーイズのファンを公言しているお笑い芸人、昨年のキングオブコント王者、空気階段の似顔絵がプリントされたロンTにヒロトへの憧れだけで買ったルイスレザーのライダースという出立。ライブハウスで誰ともTシャツが被りたくない、珍しいTシャツで他のファンに対してマウントを取りたいという野望の結果、この服装に落ち着いた。

空気階段がキングオブコントに優勝した時、空気階段のラジオリスナーだった僕は喜びのたけを峯田にインスタのDMに送り付けたところ、峯田から返事が返ってきたことはちょっとした僕の自慢で、この日も、”今日の大阪観にいきます!”とDMを送ってみるも当然のように返事は来ず。

開場前の物販に並ぶ長い行列を見ていると、友達と来てるヤツや、カップルで来ているヤツもいるけど、僕と同じように一人で来ているヤツも多くて、やっぱり銀杏は友達いないやつのためのバンドだよなと安心する。銀杏のライブを彼女と観に来てそのあとどんなセックスをするのかちょっとうらやましかったりするんだけど。ライブハウスに行くと毎回思うんだけど、ライブを一人で観に来てる女はなんかヤれそうな気がする。結局そんな経験は一度もないんだけど、銀杏を観に来る女には余計そんな気がしてしまう。銀杏を好きでいるやつに、普段の生活でそうそう簡単にセックスにたどり着ける奴なんていない。いたとしても援助交際か、風俗嬢だろう。だとすれば、それがたとえメンヘラ女だったとしてもライブの余韻みたいなものでどこかの安いラブホテルに入れるんじゃないかと勝手に妄想は膨らむものだ。

今回のツアーは、アコースティック編成ということで、客席も全席指定の椅子席だ。普段の銀杏のライブであれば、モッシュとダイブでバンドも客も乱れまくるのが魅力だが、この時世でそんなライブができるはずもなく、故にエレキギターでなくアコースティックギターで峯田が歌う特殊なライブだった。銀杏はコロナが始まった2年前から有観客のライブを一回もしていない。スマホのカメラで撮影した無観客のライブ配信が一度あったくらいだ。これは、峯田自身のライブに対する価値観の表れだと思う。大声で歌ったり叫んだり、ぐちゃぐちゃに暴れまわることができないライブ、それを銀杏がすることに価値がないと思ってたんじゃないか。僕も同意見で、フジロックの記事でも書いたけど、普段ダイブしまくりのライブをやっているバンドが制約の中で演奏する違和感は耐え難いものがある。それでも、今回銀杏がアコースティックでツアーをやると知ったとき、僕は是非見てみたいと思った。運よく先行抽選でチケットが当選し、初めて銀杏のワンマンライブに行ける。すごくうれしかった。普段のライブならチケット争奪戦はきっとずっと困難だったに違いない。そもそも銀杏はライブが少ない。アルバム何年も時間をかける。その間峯田はドラマに出たり映画に出たりするから、僕らは余計に峯田、早く曲作れ、と思ってしまう。そんな銀杏ボーイズだから、ライブは常に特別な瞬間だと思う。クロマニヨンズは毎年1枚ずつアルバムを作り続けているし、ツアーも毎年やる。夏には各地のフェスにもよく出る。そういうバンド姿勢ももちろん尊敬するけど、いつ死んでも、どんな理由(事故、病気、自殺、クスリ)で死んでも不思議じゃない峯田と、いつ解散してもおかしくないバンドのライブは、今日この瞬間だけのリアルな儚さを持ち合わせた特別なバンドなんだと思っている。

思えば銀杏の前身バンド、ゴーイングステディとの出会いは高校生のころ、いわゆる青春パンクブームの一つのバンドとして知った。ゴイステ、スタンスパンクス、ガガガSP、ブルーハーツの影響をもろに受けまくった世代のバンド。いまになれば、現在も活動を続けている彼らは当時から、一過性のムーブメントの中で生まれただけでなく、それぞれが確固たる意志を持って活動してきたことがわかるけど、当時は同じような歌詞、パンク風の音楽がうじゃうじゃいたから、その中でちゃんとゴイステと峯田をキャッチできたことは36歳になっても聴いているんだからラッキーだった。僕に美味しいラーメンや、スタービーチでの女の子のメル友を探す方法を教えてくれた、同じ部活の土屋先輩が確か教えてくれたと記憶している。ゴーイングステディではたぶん一番売れたであろうアルバム、“さくらの唄”。いかにも青春ぽいタイトルのそれには、今でも銀杏で一番の人気曲、BABY BABYや、銀河鉄道の夜など名曲満載。とくに当時僕が好きだったのはアルバム6曲目の”愛しておくれ”だった。ウォークマンを学ランの内ポケットに入れ、第1ボタンをはずしてそこからコードを引っ張ってイヤホンを耳にかけ、高校までの25分、チャリ通の道のりでよく聞いていた。そのことを思い出すときの風景は、違う高校の女の子が超ミニスカートの制服で僕の前を自転車を漕いでいて、スカートの裾が自転車のサドルとお尻の間から抜けてしまっていて、風が吹くたびにちらちらとパンツが見えていた、あの最高の朝の時間だ。2019年のフジロックで峯田自身、久しぶりに歌う曲だと言ってこの”愛しておくれ”が始まった瞬間、僕はあの女の子のパンツの色より淡くて切ない感情が爆発したのを覚えている。

物販でTシャツを4枚も買って、会場に入る。コロナ対策なのかロッカーは全て閉鎖されていて、僕は持ってきたリュックを指定席の椅子の下にしまって一旦席を離れトイレに行く。席に戻ると僕の左隣の席には割と背の高い、ショートカットを金髪に染めた20代の女の子が物販で買ったポスターがはみ出た自分のカバンをいじっていた。どうやら彼女も一人で見に来ているらしく、周りに友達や彼氏らしき存在も見当たらない。ローカットのドクターマーチンを履いたその女の子と並んで席に座って静かに開演を待つ。当然声をかける勇気など持ち合わせていない僕は、ただ隣に自分が好きなバンドを同じように好きでいてくれる、10歳くらい歳の違う女の子が座っているという状況だけで、今日はいい日だなと思えてしまう。右隣にはしばらくしてから大学生くらいの男2人組が座り、斜め前には僕と同年代らしき女性がやはり一人で、そして僕の正面の席には制服を着た女子高生が一人で座っていた。右隣の男子学生と、ステージから14列目という距離感を除いて、銀杏を観るには非常に良いポジショニングであると実感した。何より気になるのは正面の女子高生。僕がゴイステを知った約20年前、同じように高校生という人生のステージに立っている現役の高校生にもやはり銀杏は届いているという事実に、感動すら覚える。見たところ、スカートも短くないし髪形も大人しい感じ。ピアスの穴も無そうだし、後ろ姿からの雰囲気では処女である。そんな彼女が、どんな気持ちで銀杏の曲を聴いているのだろう。”骨になるまでキスしまくるよ”とか、”フェラチオされたいよ”とかの歌詞を36歳の男が聴くのと女子高生が聴くのとでは意味は同じなのだろうか?僕自身、高校生の頃に夢見ていたセックスは、クラスで一番かわいい子とするものだったし、好きで好きでしょうがない彼女と初めてのセックスをするという、愛=セックスだったのだが、36歳のセックス経験は愛があるものより圧倒的に金を介した関係性の上に成り立つものが多い。そりゃあ世の中には金を払わなくてもセックスができる嫁や彼女やセフレを持っている男はたくさんいることは知っているが、残念ながら僕はそっち側に入れなかった。援助交際や、風俗や、グレーなマッサージやリフレなど、そのすべてを経験してきてわかることは、金を払って女を買うことも、金をもらって身体を売る女も、ひとつも間違っていないということだ。日本では売春は禁止されている。それは弱い立場に立たされた女性が性的搾取により、人権を侵害されないため、そう理解している。本人の意思が理由はどうあれそこにあるのなら、金を介したセックスは否定されるべきものとは限らないんじゃないか。処女っぽい女子高生の後ろ姿を眺めながらそんなことをぼんやりと考えていると、客電が落ち、ライブが始まった。

銀杏ステージ

1曲目、”人間”。アコースティックギターを持った峯田とバンドメンバーがステージに置かれた椅子に座ったまま歌いだす。僕らも椅子に座ったまま。アコースティックライブと言っても、アコースティックギターを持っているのは峯田だけで、バンドはいつも通り、ベースもドラムもエレキギターもいる。このツアーのタイトルが当初”アンプラグドツアー”いわゆる電源をつなぎませんよというタイトルから途中変更の発表があったが、確かに全然案プラグドではなかった。音はそれなりに大きく鳴っているがいつも暴れて何歌ってるのかよく分からない峯田が今日は座って丁寧に歌っている印象。かといって物足りないのではなく、銀杏の唄を同じような価値観や問題を抱えたりしている客席全員で共有する、ライブの醍醐味は確かにあった。

途中何度か周りのお客さんの動向が気になった。思い入れのある曲で鼻をすする音や、涙を手で拭う仕草が、こういうライブなので視界に入ってくると、たまらなくなる。そう、この曲のこの部分の歌詞、言葉に救われたり、許されたり、絶望したりしてきたよな僕ら。正面の女子高生も泣いていた。

しばらくしてバンドは立ち上がって演奏を始める。峯田も立ち上がって歌い始める。僕らはまだ座ったまま。どうしていいかわからない。椅子に座って首で静かにリズムを刻んだり、拍手したりしてる。立って観ることは禁止されていないので僕らはいつでも立ち上がれるのだけど、誰も立とうとしない。しばらく曲が続き、僕らが大好きなあのイントロが流れる。

BABYBABY

あのイントロが僕には昔からサイレンのように聞こえる。何か急かされているような、何か良くないことがありそうな嫌な予感とか、そういうものを感じる。多分今日集まったヤツは全員あのイントロにヤられている。

客席前方の真ん中あたりの席で何人かが立ち上がった。僕も周りに合わせるように立ち上がった。立ち上がるんならこの曲のタイミングしかないなと思っていた。それからは客席のほとんどが立ち上がって、ライブが続いていく。椅子に座っていた時よりも少しだけ自由に身体を揺らして手を上げたりしている。誰かがTwitterにあげていた当日のセットリストを見てみると、BABYBABYはかなり後半に演奏されていて、僕たちは13曲も座ったまま聴いていたみたいだ。座ったままでライブが終わってもおかしくないタイミングだったけど、やっぱり僕らはBABYBABYですぐ反応する早漏の集まりだったのだ。

本編最後の曲は”僕たちは世界を変えることができない”。この曲、というか先にこのタイトルのDVDが発売されたと思うんだけど、このタイトルを見て、僕らはまず、峯田、そんなこと言うなよ!だった。え、無理なの俺たち?ロックで世界変えられんじゃないの?俺たちどうしたらいいんだよ!と本気で思ったものだ。今回のツアーの正式タイトルは

”銀杏BOYZ アコースティック・ライブツアー2022 僕たちは世界に帰ることができない”

曲のタイトルと、ツアーのタイトルの微妙な違いが、言わずもがなこのコロナ禍による混乱と、ライブシーンにおける様々な障害や変革を余儀なくされた現状を表している。僕らは本当にあの世界に帰れなくなってしまったのだろうか?この先もずっと続くことを意味しているのか、それとも現時点ではあの世界に帰れないだけなのか。峯田がどう思ってこのツアータイトルにきめたのかずっと知りたかった。その答えが、アンコールの最期、このライブの最期の曲で出た。”少年少女”という曲。去年、アニメの主題歌としてリリースされたこの曲は、銀杏らしいPOPさと僕らが好きなタイプの疾走感がある曲だ。

この曲で峯田は、アコースティックギターから、赤いエレキギターに持ち替えた。

最期1曲だけ、アコースティックではないいつものうるさい銀杏BOYZとしての演奏を見せてくれた。峯田は諦めていない、僕らと一緒にあの世界に帰ることを。そういう宣言だと僕は勝手に受け取って、ライブが終わった。

外に出ると最近は温かい日が続いていたけど、まだまだ寒い。僕はライダースの前のチャックを閉めようかと思ったけど、空気階段のイラストが見えなくなるからやめた。寒いのを我慢してコンビニの近くでタバコを吸いながら、最寄りの駅に向かうお客さんたちを眺めていた。その中に僕の隣に座っていたドクターマーチンの女の子もいた。僕は何となくその子の後ろを歩きながら、違う電車に乗った。会場の近くにはユニバーサルスタジオがあり、電車の中は卒業旅行らしきユニバ帰りの客と銀杏の客が入り混じっていた。僕らは友達とユニバに行ってはしゃいでインスタあげて、いいねをたくさんもらう君らより、銀杏のライブを一人で見に来て泣いている女子高生でありたいと、いつも思っている。

銀杏 後ろ

翌週、物販で買った銀杏のTシャツを着てリフレに行ったところ、そのデザインにリフレ嬢が食いつき、プレイ開始までやたら時間稼ぎされたが、1万5千円余計に払ってFカップのおっぱいに顔をうずめながら、1週間前のことを思い出していた。



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