見出し画像

フジロック2021

8月20日~22日に開催されたフジロックに参加してから2週間が過ぎた。コロナの潜伏期間は2週間と言われていたのでフジロックロスを感じながらもどこか緊張感のある2週間だった。

開催前から開催中、開催後に至るまでこの時期に大規模なイベントを開催することへの是非、出演することへの是非と葛藤、参加することへの楽しみ、不安と後ろめたさ、こんなにも多くの感情が入り混じる中での参加は初めてだった。

僕が初めて参加したのは2018年。オアシスエリアに出店する飲食ブースのスタッフとしてだった。翌2019年、今度は完全に客として、キャンプサイトにテントを張り、前夜祭から最終日翌日までフル参戦した。豪雨で、レインコートを何枚もダメにして、大雨の中一人テントの中で過ごした時間と、11年ぶりに観たエルレと、銀杏ボーイズのぶっ飛んだ光景と、ピラミッドガーデン、夜の暗闇の中で初めて観たMOROHAのライブは、今でも僕の宝物だと思っている。

その年から、僕は同じ夢をよく見るようになった。それは、フジロックに行ってテントを立てる最良の場所を探し求める、という夢だ。フジロッカーならご存じの通り、キャンプサイトは、スキー場であるがために、平坦な場所が少ない。前夜祭の日の開場前から並んで、キャンプサイト内でなるべく平坦で、且つ大きな木の下で、雨や日差しをできるだけ避けられる、そんな場所が理想だ。キャンプをして初めての参戦だった2019年は、この場所選びを完全に失敗し、まあまあな斜面に設営せざるを得ず、快適なテント環境をすごせなかった。そのことが僕の中で大きな悔いだったのだろう。

2020年の開催延期が決まり、僕のその夢も丸2年間、見続けることになった。2021が終わってからこの2週間、その夢は1度も見ていない。

なんか、前置きが長くなったな

今年のフジロックはどうだったのか、ニュースやTwitterで流れる情報と、僕らが実際に目にして、自らもそのニュースの一部であったことを踏まえて、ここに記しておきたい。すでにネットには幾つかの個人の記事が散見される。僕と同じようにイチ客として、イベント関係者、飲食ブースの出店者の方、毎年フジロックに参加していたけど今年は配信を家で見ていた人、そして普段フジロックに興味もない人たち。参加した僕から言わせれば、こんなにも書き残しておきたくなるイベントはない。多くの人が自分の立場で、言葉で、今年のフジロックを”残しておきたい”と思うのもよく分かる。僕もその一人だ。

主催者は、今年はコロナ渦で特別なフジロックにする、と開催前から言ってきた。結果として、特別だったことは間違いない。参加人数の大幅な減、酒類販売と持ち込みの禁止、深夜のアクトなし、前夜祭なし、モッシュダイブ禁止、歓声禁止、ソーシャルディスタンス確保、マスクは絶対鼻まで、海外アーティストなし、事前のアプリに本人写真登録、喫煙エリアの大幅減(これは行ってからマジで困った)。多くの感染予防のためのルール。

僕は2007年ころの各地のフェスのことを想いだした。この頃、各地でフェスが乱立するようになり、一部の音楽ファンのみが集まるイベントだったロックフェスが、一般の夏のレジャーの一つになっていき、客層も大きく広がっていった。そんな中で生まれたルールが、ダイブ禁止だ。きっかけはあるイベントで起きた後遺症が残るほどの事故だ。僕はこのルールができたとき、クソくらえだと思った。ライブとは?ロックとは?パンクとは?日常の抑圧からの解放こそが僕にとっては大事な意義だった。その年、広島のフェスに参戦した僕はルールを破った。ken yokoyamaのライブの時だ。僕意外にも何人かが我慢できずにダイブをして、皆セキュリティスタッフに捕まり、ステージ脇のテントにライブが終わるまで隔離された。健さんのライブが終わり無事解放された僕たちは、今度は10‐FEETのライブでダイブした。またしても捕まり、僕が2回目の違反だと気づいたセキュリティに凄い剣幕で怒られたのを覚えている。その後、各地のフェスはダイブを厳正に禁止するフェスト、注意はしながらも客自身の自己管理に任せるフェスに分かれていった。

当然僕はダイブができないフェスなんて、金もうけのための企業がする商業フェスで、集まる客もレジャー気分のミーハー客だ、そんなのはロックでも何でもない。フェスとは自由であるべきで、過度な規制やルールはこの文化をみんなのものにするためのもの。冗談じゃない、ロックは僕だけのためにあって、音楽は僕の鼓膜にのみ響くものだ。そう思っている奴らが数万人集まることで生まれる文化だと思っていた。いや、今でも本当はそうあるべきだと思っている。

ロックの現場に、規制やルールを持ち込むことほど、野暮なことはない。本当はそう言いたい。フジロックがどんなに批判されてもいつも通りのことをドーンとやっちまうことの方が本来僕が好きなフジロックの姿だ。

ところが、ところがだ。ここが今回一番自分自身のモヤモヤが晴れない部分だ。やっちまったら終わるのだ、フジロックは。それはフジロックの後に開催された愛知のフェスでよりハッキリしてしまった。あのフェスが、来年も開催されるとは思えない。

僕は今回、フジロックが来年以降もずっと開催され続けるために参加した。今年の参加者は例年より若い客層が増えたという記事を見た。確かに、会場でも3日間フル参加する、というよりは目当てのアーティスとだけ観に来た、という感じの人たちも多く見かけた。でも、やはり常連の姿はあって、僕らと同年代の30代からより上の世代までたくさんいた。例年より、一人で参戦している人が多くも感じた。彼らもきっと僕と同じで、フジロックを守るために会場に来ていた。まじでみんなルールを守っていたと思う。マスクをずらしてたり、キャンプサイトで缶ビールの段ボールケースを見たことも正直言えばあった。でもそれは限りなくごく一部で、それだけでフジロック全体が危険なイベントだったとは思えない。

KEMURIのライブが始まる前、最前列の柵にもたれかかって座っていたとき、僕はマスクから鼻が少し出ていた。それを見つけたスタッフに注意されたのだけど、マスクを直したらそのスタッフが、「ありがとうございます」と僕に言った。他のお客さんにも、何か注意をするたびにスタッフの方は「ありがとうございます」と言っていた。

きっと、今回のフジロックでお客さんに対してストレスを与えてしまっていることを運営側も理解していて、協力してくれたお客さんに対してきちんと感謝の意を伝えることはスタッフ内で周知されていたことなんだと思う。ただ無用な反発やトラブルを回避したかっただけかもしれないけど。

当たり前だけど、スタッフもフジロックを守ろうとしてくれてんだなと。

で、肝心の出演者たちだ。僕がこの3日間で観たバンドは、ドレスコーズ、SiM、マンウィズ、RAD、KEMURI、サンボ、クロマニヨンズ、ken yokoyama、バースデイ、ナンバガ、ブルーハーブ、キヨシローバンド、エセタイマーズ等々。。。。。

今回の出演についてや開催について、自分たちの考えや意思をステージ上でガッツリ話す人、全く触れずにライブをたたきつけるバンド、戸惑いを隠せないバンド。僕が見た中では大きくこの3つに分かれると感じた。どれが良いということではなく、それぞれが自分のキャラというかそれぞれのファンが望む姿勢を見せていたんじゃないかと思う。それぞれ印象的だったバンドについて記しておこうと思う。

まず、僕的に今回のベストアクトは間違いなくクロマニヨンズだった。もともと、ブルーハーツもハイロウズも人生で最も大切なバンドだし、クロマニヨンズのライブも今まで何回も参戦してきた。ヒロトはこういう時、直接僕らに何かを呼び掛けたりしない。それは、音楽は聴く人それぞれのものであり、自分たちはただ楽しいからバンドをやっている、というスタンスだからだ。だから今回もMCで昨今の状況を嘆いたり、言葉で僕らを励ましたりしない。それは2011年に震災と原発事故があったときもそうだった。かつてブルーハーツではチェルノブイリという曲があったり、反原発、反戦の姿勢を今より割とハッキリしていたけど、2011年の時に、何か言葉で東北を励ましたりしなかった。その年の雑誌のインタビューでは、ロックを何かの手段に使うのは違う、ロックとはそれ自体が目的なんだと言っていた。この言葉に対して、ブラフマンのトシロウが反発してて、その時は僕も複雑な心境だったけど、そのあとにクロマニヨンズが出したアルバム、ACEROCKERの中の、ナンバー1野郎と、雷雨決行という2曲は完全に僕らを励ましてくれた曲だった。

フジロックでもこの2曲が始まった瞬間は鳥肌だった。とにかくステージ上ではいつも通りのライブを僕たちに叩きつける、ということに終始したパフォーマンスだった。同じようにライブに集中してたのはバースデイとナンバガかな。やっぱ経験値からくるのかな。でもチバも向井もステージ上で酒を呑まずに演奏しているいつもと違う光景にちょっとほっこりするみたいな。優しいんだろうなみんな。

自分の思いを躊躇なく語ったのはブルーハーブだった。配信もされていたから、Twitterとかで結構話題になっていたけど、カッコよかった。もともとMCなのか曲なのかの境目がよく分からない(曲自体あんまり知らない)けど、ブルーハーブを観たのも、震災後の東北AIRJAM2012だった。この時に初見だったけど、強烈に印象に残っている。出演者として、今回のフジロックをステージ上で語るのは相当なリスクと、言葉の難しさがあると思う。その中でブルーハーブの言葉には誠実さがあったし、会場にいる全員が抱えている複雑な心境をほんの少し希望に向かわせてくれたと思う。同じようにサンボマスターの各地のフェスにエールを送る演出もよかったな。そういえば今回のフジロックで大雨に打たれたのはブルーハーブとサンボの時だったな。来年はゴアテックスのポンチョを買っていこう。

最期、ステージ上で戸惑いが見えたのはken yokoyamaだった。健さんは僕にとってヒーローだ。やはり震災の時に、何も言わなかったヒロトに対して、大きな声を上げたのは健さんだった。ハイスタの復活も含めて。その時期にさらにken yokoyamaというバンドを好きになった。フェスでダイブ禁止になったとき、僕らの側に立って怒ってくれたのも健さんだったし。

今回、ken yokoyamaの出演はコーネリアスの代打、直前で決まった。開催前、仕事終わりにスマホを見るとフジロックのアプリに1件の通知が。ken yokoyamaの出演の知らせだ。めちゃくちゃ嬉しかった。サタニックカーニバルや、ツアーをこのコロナ禍でも再開していて、制約のある状況でも手ごたえのあるライブができていると、健さん自身が以前語っていたので安心してライブを楽しめると思っていた。しかし、いざライブが始まってみると、モッシュダイブなしでken yokoyamaの早いテンポの曲に何だかノれない。加えて周りのお客さんにも健さんの常連が少なかったように思う。ピットの一体感みたいなものがない。もともと代打だし、健さんの後に出るking Gnu目当てのお客さんが多かったように思う。健さんもそれを感じ取ったのか必要以上に過激なMCをはさみつつ、最後まで違和感は消えなかった。今まで観てきたken yokoyamaのライブでは感じたことのない不完全燃焼を感じてしまった。ただ、それを含めて戦っている健さんの姿は、やっぱり僕のヒーローなんだけど。


越後湯沢の駅からシャトルバスに乗って、車内にはキヨシローの”田舎に行こう”が流れている。モニターには感染予防のアナウンスが流れ、2年ぶりに観る苗場までの景色が窓の外を流れていく。フジロックに来たんだと実感する。

会場に着き、ヤマト便で送っておいたキャンプ道具を受け取り、設営場所を探す。驚くほど人が少ない。設営場所の争奪戦もない。平坦な場所選び放題だ。

雲が出ている。天気予報はこの後怪しい。雨が降る前に設営を終わらせて、解放されているエリアをぐるっと歩いて回って、あっという間に夜になる。

突然テントの外から花火の音。

今年は前夜祭が無いから静かな夜だと思っていたのに、前触れなく夜空に花火が上がる。僕と同じように音に気付いてテントからそろそろと出てくる人たち。皆スマホを片手に花火を撮影しながら、これからの3日間の無事を祈っているような、そんな風景。

苗場に来て5日目の朝、新幹線が混む前に始発近くのシャトルバスに乗ろうと早起き。キャンプサイト専用の苗場温泉で朝風呂に入る。早朝だから客は少ないが、皆、ひと先ず無事にフジロックが終わったことに安心して湯舟に浸かっている。それと同時に明日から戻ってくる日常と、コロナには潜伏期間があるという現実の不安を静かに受け入れている。

キャンプ道具を再びヤマト便に預け、シャトルバスに向かう。途中、これが最後のフジロックになるかもと、何度が後ろを振り向いて、座席ごとにビニールが張られたバスに乗る。僕意外には同世代の男の人が4人ほど。帰りのバスにはキヨシローは流れない。僕はイヤホンをつけてラジオのタイムフリーを聞く。伊集院光深夜の馬鹿力だ。この1年半、ライブにもいけない僕を随分救ってくれたのは深夜ラジオだ。今日からまたしばらく、世話になるだろう。

分断ではなく提案を。フジロックも、その他のフェスも、ライブハウスも、ラーメン屋も、来年まで生き残ってくれ。そしたらまた、行くから。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?