自粛中に思う

4月8日の営業を最後に店休が決まり、今は週に1回の店舗確認とミーティングがあるだけの超自粛生活が続いている。

この文章を書いている4月24日現在も、国内感染者数や死亡者は増え続けており、来たるGWを目前にして、非常事態宣言の解除含めて、収束は見えない。一応5月6日までが自粛制限の期間と言われてはいるものの、今は全くその予感はなく、出口の見えないトンネルとはまさにこの現状のことをいうのだろう。

昨日、女優の岡江久美子が死んだ。コロナウイルスからなる肺炎のためだそうだ。約1か月前には志村けんが同じくコロナを原因として死んだ。身近ではないが、誰もが知る2人の死は少なからず一般市民である我々を動揺させる。

知っている人が死ぬ、というのはそれだけでリアルである。

普段僕は、このnoteを使って、不真面目なことばかり書いてきた。突如訪れたこの長い休暇の中で、さぞかし面白い文章がたくさん書けるだろうと思っていたのだが、なかなかパソコンに向かうことができずに2週間あまり。別に悲観的に想っているわけではないが、社会にも、会社にも、将来にも、明るい兆しはなく、それはやはりストレスになりつつある。

この文章は、いつか自分がこの時代を振り返ったときに読み返すための、忘備録というやつだ。いつもなら他人の好評価を求めまくっている(そしてそれが叶っていない)が、今日はただ、笑いを忘れ、だらだらと書きつづってみようと思う。

来週の月曜日、僕は大阪へ引っ越す。高校を卒業してすぐに福岡にやってきて16年。

16年⁉

なっが。

気づけば34歳。もうすぐ35歳、だ。

コロナの影響が少しずつ大きくなってきていた3月19日に内示を受け、承諾した。正直に言えば、どこだっていい。どんな仕事役職でも構わない、という開き直りみたいなんがあった。それぐらい、退職するか続けるか、悩んでいた時期でもある。これからあと何年会社に残るのか、長く残るつもりはないが、この際福岡を出てしまうこともありだなと軽く考えていた。

ところが、このコロナウイルスである。

4月8日、非常事態宣言がここ福岡にも、大阪にも発令され、エリア店舗の休業が決まった。やがて非常事態宣言は全国に拡大し、とうとう全国すべての店舗が休業した。16年この仕事をしてきて初めての事態。こんなに長い間仕事をしない期間はなかった。そして今日現在、それがいつ終わるのかも分からない。3日後、僕は大阪に引っ越すのだけれど、そこに僕らの仕事はあるのだろうか。

この数日で起こった個人的ニュースは、PIZZA OF DETHがサブスクを解禁したこと。これにより、Spotifyでハイスタやken yokoyamaの音源が聴けるようになった。早速お気に入りリストを健さんだらけにして、それを聴きながら区役所に転出届に行った。

もう一つは、今年の京都大作戦の中止が決まった。別に参加することを決めていたわけではないし、というか一度も行ったことがないのだけれど、スマホでこのニュースを見たときは思わず目が覚めた。あ、あと3年くらい使っていたiphoneがおととい壊れた。7だった。だから11に変えた。今までの写真がすべて消えたので、元カノとの記憶も、これで消えていくのだろう。

ライブの中止が相次いでいる。4月、5月のイベントはほぼどれも中止が決まり、6月7月がデッドラインにある。この夏、各地で予定されている多くのフェスのうち、いったいどれだけが無事に開催されるのだろう。

気になるのはフジロック。

昨年、一昨年(出店として)参加して、完全にフジロッカー化している僕の、1年の中の最大の楽しみである。有給を使って、今年も行く気だったが、僕の持っている有給はこの自粛中に消化されるので、8月にふたたび有給を取得するのはなんだか気が引ける。もっとも、自粛が長引けば、僕の40日あるすべての有給は消えるのだけれど。

東日本大震災の時も、ライブの自粛等はあった。電力の問題や、この時期に不謹慎であるといった声によって。しかしながら、その状況の中で立ち上がったのが、横山健であり、ブラフマンであり、その他多くの僕の大好きなバンドマンたちだった。ハイスタさえ復活した。

しかし今回は、ライブ自体が危険であるという状況になってしまった。実際に大阪のライブハウスでクラスター(集団感染)が発生し、問題化した。確かに、普段のライブの状況を思えば、狭い場所で不特定多数の人が密集し、モッシュして、ダイブして、唄っている。そりゃあウイルスも感染し放題だろう。

いつ、僕らがまた、ライブを観れるかわからない。僕らの仕事が再開したとしても、ライブが再開されるのはまだ先だろう。フジロックが間に合えばいいけど。

で、全国のライブハウスが潰れそうだと。すでにいくつかのライブハウスが潰れている。このまま長引いて、福岡のドラムロゴスとか、ビートステーションとか潰れたら、それはさみしい。大阪に行っても、行ってみたいライブハウスがたくさんあるし。

もし、それらの場所がなくなってしまったら、僕はライブハウスを創りたい。ラーメン屋で独立するよりも、ライブハウスを立ち上げる方が、今の僕のやりたいことなんじゃないか、そんなことを考えながら、チャリでスシローに行きました。ken yokoyamaを聴きながら。

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