見出し画像

THE YELLOW MONKEYと僕-Part1-

2022年5月14日
ニコニコ生放送で配信されていた
THE YELLOW MONKEY
「SPRING TOUR “NAKED” SPECIAL TALK」
という特番に出演させていただきました。

「SPRING TOUR」というのは
結果として、THE YELLOW MONKEYが解散前
“最後のツアー“となってしまったものです。

これは自慢ですが、私はリアルタイムで
「SPRING TOUR」を目撃しているのですが、
個人的には今まで見た中で一番好きな
ライブだったかもしれません。

映像化は数曲のみされていましたが
その伝説のツアーの全貌が明らかになる作品が
今回20年以上の時を経て発売されました。

その発売を記念して、ニコ生で
関係者による証言などを交えた
スペシャル対談をすることになりました。

当時のプロデューサー立本さん
ディレクター岡田さん
編集を担当した鎌田さん
ファン代表として私、三浦ジュン。

さらにファン代表のアーティスト
志磨遼平(ドレスコーズ)
オカモトコウキ(OKAMOTO'S)の
対談もVTR で登場。

コアなファンが見る配信だから
「オタクな話大歓迎!」と言われましたが
今回の配信のテーマが「SPRING TOUR」となると
僕が話せるマニアックな話は
「日大ゲリラライブ」くらいしかなく
結局、その話をさせていただくことになりました。

その話は後ほど改めてしようかと思いますが…

色々と大切な記憶が失われていくなかで
僕にとって人生を変えるようなバンド
THE YELLOW MONKEYとの思い出を
記録しておこうかな、と思います。



【出会い】

THE YELLOW MONKEYとの出会いは
1992年か93年でした。

あ、申し遅れましたが
僕は1973年生まれの48歳なので
THE YELLOW MONKEYに出会ったのは
19歳か20歳の頃です。

僕は中学くらいから音楽(特に邦楽)が好きになり
沢山のアーティストを聴いてきましたが
当時から人と違うことをしたがる性格が故
オリコンチャートに入る人気者のアイドルや
アーティストにはあまりハマらず
まだ周りにファンがいないアーティストを
応援することが「格好良い」と思っていました。

もちろんヒット曲も嫌いではなかったのですが
「オレは人と違う」アピールをしたかっただけの
捻くれ者だったのかもしれません。

あ、今もあまり変わっていないかもしれません。

当時はスマホもネットもない時代だったので
音楽の情報は、ほぼTVK(テレビ神奈川)の
音楽番組から吸収していました。
特に「ミュージックトマトJAPAN」という
平日23時からミュージック・ビデオをひたすら紹介する
30分番組を毎晩のように録画して観ていました。

TVKといえば、木曜日22時から放送していた
「ライブトマト」という音楽番組も大好きでした。
この番組は、のちに『Live Y』という番組になり
THE YELLOW MONKEYのボーカル
吉井和哉さんも一時期、司会を務めていました。

「ライブトマト」はアーティストが、ライブハウスや
ホールで普通にライブをしたものを収録し
インタビューを交えて紹介する番組でした。
90年代後半にフジテレビで放送された
伝説の音楽番組「FACTORY」も似ていました。

そんなTVKをひたすら観ていたある日
とあるバンドのツアー告知のCMが流れました。
それがTHE YELLOW MONKEYとの出会いでした。
(確かBGMは「FOXY BLUE LOVE」だったかと)
それを見た瞬間、すぐに好きになりました。

どこを好きになったのかはハッキリ憶えていませんが
おそらく見た目とサウンドだったと思います。

僕の高校時代はバンドブーム真っ只中だったため、
趣味でバンドを組んで、好きなバンドのコピーをして
お化粧をしてライブハウスに立ったりもしていました。

その時、沢山好きなバンドはいましたが
CMから流れてきたTHE YELLOW MONKEYの音からは
どのバンドにも属さない「唯一無二な格好良さ」が
その一瞬で伝わってきました。

ここまで読んでいただいて、お気づきかと思いますが
THE YELLOW MONKEYとの出会いだけで
すでに長いですね。。。

この先、どこまで書くのかわかりませんが
まずは「part1」ということにしておきましょうか。

【ライブ】

THE YELLOW MONKEYのライブを初めて観たのは
1993年10月31日、日比谷野外大音楽堂でした。

埼玉のFM NACK5というラジオで放送されていた
「MIDNIGHT ROCK CITY」という番組の
「GO ROCK」というイベントでした。

その日、出演していたのは以下の4組。

UP-BEAT
THE YELLOW MONKEY
DIE IN CRIES
DIAMOND☆YUKAI

みんな大好きなアーティストで
チケットが当たった時からずっと楽しみにしていましたが
UP-BEATはそれまで何度もライブを観てきたし
DIE IN CRIESはボーカルKyoが所属していた
前身バンドD’ERLANGERのライブも観ていたし
DAIMOND☆YUKAIはソロのライブもですが
RED WARRIORS時代にも当然ライブを観ていたし
この4組で、唯一ライブを観たことなかった
THE YELLOW MONKEYのライブを
余計に楽しみにしていました。

THE YELLOW MONKEYは
当時アルバムを2枚出していて
(後にインディーズ盤の存在を知りました)
どちらも聴きまくってライブに臨みましたが
インディーズ時代の曲や未発表曲を含め
半分くらいは僕の知らない曲が披露されました。

普通、対バンや複数のアーティストが出るイベントって
代表曲やヒット曲で少しでも会場を盛り上げて
新しいファンを獲得しよう!というのが定石なのに
全くそんなことお構いなしのセットリストで
挑んできたTHE YELLOW MONKEY
とにかく尖っていて、衝撃の連続でした。

その日のライブは「MIDNIGHT ROCK CITY」で
後日にダイジェストで放送したのですが
そのラジオ音源もカセットテープに録音して持っています。
(さっき久々にWALKMANで聴きましたが
歌詞やアレンジも製品版とちょっと違っていました)

とにかく、その日観たライブが僕の脳を刺激して
ここからTHE YELLOW MONKEYの毒に
どんどん犯されてしまうのです…


THE YELLOW MONKEYはそれから数ヶ月後に
3rdアルバム『jugar hard pain』という
日本の音楽史に残すべき名盤を産み出します。

おそらく僕の人生で一番聴いたアルバムは
この『jugar hard pain』だと思います。

よく「THE YELLOW MONKEYで一番好きな曲は?」
と訊かれますが、1曲というのは本当に選べません。
好きな曲が多すぎて1曲には絞れないのです。

「ライブハウスで聴きたいのは?」とか
「ライブで大声を出せるようになったら聴きたいのは?」とか
具体的なシチュエーションによって答えられますが
ざっくり「1番好き」と言うのは難しいですよね。。。

そんななか、曲ではないのですが、1番好きな作品は
「jugar hard pain」というアルバムかもしれません。

この作品はコンセプトアルバムになっていて
最初から最後まで、アルバムを通して
「1つの作品」になっています。

しかも、その伏線が前のアルバムから
すでに始まっていたことに驚きました。

わかりやすいところで言うと、3rdアルバムの
ジャケット写真が「エメラルドの宝石」なのですが
2ndアルバムに収録されている「4000粒の恋の唄」
という曲にもそのワードが入っていました。

もっと深いストーリーとしては
「ジャガー」の恋人「マリー」との関係性が
2ndアルバムですでに始まっていたのですが…
その話をしだすと止まらなくなりそうなので(笑)
ここではあえて触れるのはやめておきます。

とにかくこのアルバムは驚きの連続で
このアルバムに出逢ってしまったが故に
THE YELLOW MONKEYという
一度ハマったら抜け出すことができない
蟻地獄にハマってしまったのです。

だいぶ脱線しましたがライブの話に戻しましょう。

そんな僕がTHE YELLOW MONKEYを
2回目に観たのは1994年の3月。

『jugar hard pain』ツアーの東京公演
中野サンプラザのライブでした。
アルバム発売時は坊主だった吉井さんの髪が
少し伸びていましたが、衣装、ビジュアル
演奏する姿、楽曲、バンドサウンド
全てに興奮してしまいました。

そして4ヶ月後の7月に再び日比谷野音で
『jugar hard pain』のENCORE TOUR
〜つわものどもの熱帯夜〜という
ライブを観に行ったのですが
これまた衝撃的なライブでした。

ジミヘンの「The Star-Spangled Banner」が
大音量で流れ、大量のスモークの中から
メンバーが登場してきました。

特にGジャン、Gパン、ティアドロップの
サングラス姿で登場した吉井さんに
いきなり度肝を抜かれました。

ジャガーになりきっている吉井さんはMCで
「さっき原宿に行ってきた!」とか
「ジーンズメイトで買ってきた」とか
そんなMCをしていたと思います。

このライブはWOWOWか何かでダイジェストで放送され
そのVHSテープをDVDにデータ化したものは
どこかに保管してあるけど、MCは残ってなかったかな。

そして『jugar hard pain』のFINAL TOURとして
12月に開催された中野サンプラザ2DAYS公演。
(もちろん2日とも観に行きました)

2日目のなんの曲だったか忘れたのですが
吉井さんがマイクを落としてしまうという
ハプニングがあり、その直後に吉井さんが
自分の手を叱るようなアクションをしたのが
とにかく印象的な瞬間でしたが…
その話をできる相手がどこにもいなく
僕の記憶が本当だったのか、どうかさえ
怪しくなってきました…

そして中野サンプラザ最終日には
2回目のアンコールを終えた後
スクリーンで重大発表が行われました。

「1995年4月11日 日本武道館公演決定!」

当時TVK『LIVE Y』の司会を吉井さんが
担当していたのだと思うのですが
武道館公演発表の瞬間、会場の反応を
ステージ袖でこっそりと覗いていた吉井さんの姿を
LIVE Yの密着カメラが撮影してて
ファンの歓声を聞きながら喜んでいた様子が
後に放送されていたのも覚えています。

もちろん、翌年1995年4月11日
初の日本武道館公演にも行きました。
(アリーナ席、センター前から8列目でした!)

Jugarへの想いが強かった僕にとって
武道館のセトリは正直微妙でした(笑)

それでもTHE YELLOW MONKEYにとって
初の日本武道館公演、4thアルバム「Smile」の
ツアーを初めて生で観て大はしゃぎしていました。

まだ出会って最初の3年だけですが
この先書き出したら長くなりそうなので
一旦「part 1」はここまでにします。

また記憶が無くならないうちに
この続きを書かせていただきます。

I shall return!

and

THE YELLOW MONKEY IS MY LIFE!!!