見出し画像

元巫女てくてく小噺【初めての繋がりは・・・③】

と言いつつも、以前タレントさんが全国各地の地元の方々と触れ合う旅番組の中で、神社の前でインタビューを受けていたご家族が「この神社のおかげ」と言いつつ家族全員がその神社の名前を知らないというシーンが有りました。


しかも、そのご家族のお家の近所に有るのにです。
それなのに名前を知らないという・・・でも守って頂いている意識は有る。



日本は古来より生活の中で大切な物は神様として大切にする「八百万の神」という考え方が有ります。


自然と何かに守って頂いているという意識や、この出来事のように詳しくは知られてないけれど、人々が支えられているという実感も大切な事の一つかもしれません。
存在そのものに意味が有るという。


そして同じく中途半端な信心の我が家も、

命名して頂いた神社の前を通りかかるときは絶対に素通りはしません。


自宅からだと車で行く距離ですが、前を通りかかれば必ず母が「寄って行くか」と言い出しお詣りをしていました。


「お詣りする」つもりで家を出発したのでもなく通りかかったから「お詣りしなきゃ!」という義務感があるわけでもなく、
近づくと息を吐くかのように「寄っていくか」「うん」という会話が生まれる。


実家に帰省した今でも同じ。

前日に訪れていたとしても、翌日通りかかったら、やはりお寄りしてお詣りしております。惹きつけられるというより生活に組み込まれている感じだ


そういった意味では「お守り頂いている」という潜在的な信仰心が有るのだと思う。それに富士山に関係している神社なので、恵みを頂いているという気持ちも強い。



そのように常日頃訪れていた神社さんで気になることの一つと言えば
「巫女」あの装束に大抵の女の子は憧れる。


「可愛いなぁ」「髪が長くて、何かふんわりと不思議な人達だなぁ」という思いは有れど、私は他に目指していた事が有ったので、装束を着てみたいとは思ったけれど「巫女になりたい!」とは思わなかった。


後年聞いた話では、そちらの神社の氏子さんの関係者しか成れないとの事で、そのまま田舎に留まっていても巫女で御奉仕させて頂く事は不可能でしたが・・・。

それなのに、そんな私が東京に出てきてから巫女で御奉仕させて頂くことになるとは!!次回はその話をさせて頂こうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?