Zoo Taku 原爆の日
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6時間 ·
■原爆の日 (その1)
8月6日。広島に原爆が投下された日です。(1945年)一般的には「原爆の日」と呼ばれているようですが、過去には「原爆記念日」という呼び方も存在したようです。「記念日」というと、「祝う日」のようなニュアンスがあるので、敬遠されたのでしょう。国語学的には「記念」に「祝賀」の意味はないようですが。
「原爆によって終戦を早め、結果的に200万人の米国人の命を救った」というのが、現在もアメリカの学校教科書で採用されている「原爆の意義」だそうです。
「アメリカ国民を守ったのだから(日本人を何人殺そうと)文句ないだろう」という話ですね。しかし、米国人たちはこの日を「記念日」として祝っているというような話は聞きません。
記憶に残っているエピソードとしては、アメリカの某地方都市でこの日に「原爆展」の開催が計画された時、市民たちが猛反対してこのイベントを潰したそうです。
俺がこのエピソードから感じることは、米国国民の心の中に原爆投下に対する「後ろ暗さ」があるのでは?,,,と言うことです。
「原爆投下の正当性」を疑っていないなら、8月6日を「世界平和を実現した日」として、堂々と展示会(展覧会?)を開催して、シャンパンで乾杯でもすればいいと思うのですが、
しかし一般市民は「原爆の史実など見たくない、知りたくない」と言わんばかりに、開催が予定されていた原爆展を潰したのです。
しかし、そんな彼等も表向きは、原爆を投下した爆撃機「エノラ・ゲイ」の乗組員たちをヒーローとして讃えています。
以前、原爆を特集した日本のテレビ番組の中で、このエノラ・ゲイの機長にインタビューするシーンがありました。「原爆を投下した時、何を思いましたか?」という意地悪な質問に、
彼は不愉快そうにこう返答しています。
「君は私に何を言わせたいのだ。私は命令を遂行しただけだ。軍人だから、それが当然だ」
まあ、「ヒーローになった気分だったよ」と言われるよりはマシですかね?
(苦笑)エノラ・ゲイは現在も米国スミソニアン協会の国立航空宇宙博物館の別館に復元された機体が展示されています。
世界初の原爆が、1945 年7 月16 日、ニューメキシコ州アラモゴルド実験場で爆発した時、
原爆開発計画のチーフ・エンジニアだったロバート・オッペンハイマーは、「我は死なり、世界の破壊者なり」と叫んだと言われています。
この言葉はインドの聖典「バガバッド・ギー ター」の中の一節ですが、
オッペンハイマーが「叫んだ」という事実はないようです。原爆の後日談を知人に語っている時、
「原爆実験が成功した時、ボクはこの言葉を思い出したんだ」というような話が、その後、メディアによって歪曲されて世間に伝えられたのでしょう。
広島の原爆慰霊碑の碑文「安らかに眠って下さい 過ちは繰り返しませぬから」は、広島大学教授の雑賀忠義が当時の広島市長・浜井信三の依頼を受けて提案したもの。
誰が過ちを犯しのか、主語のない奇妙な一文だ。
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4時間 ·
■原爆の日 (その2)
核分裂~連鎖反応~ウラン爆弾
「アインシュタインが原爆を作った」という与太話を本気で信じている人がいるようですが、彼は原爆開発には直接関わってません。しかし彼の友人の「2名の物理学者」が原爆の歴史に深く関わっています。
理論物理学者とは、ノートとボールペンだけで仕事をする人のことです。実験器具をいじったり、機械の設計図を書いたりしません。ノートにひたすら数式を書く殴る変人が理論物理学者なのです。
しかし「例外」もいます。アインシュタインの友人であるレオ・シラードはやはり理論物理学者でしたが、彼は特許マニアだったのです。
物理のアイデアを製品化して特許を取ることが生きがいでした。
ですからレオは自分が考案した製品の設計図を書けました。設計図が正しければ現物がなくても特許は取得できるのです。
レオは他の学者たちと同様に、アインシュタインの「相対性理論」に魅せられていました。
相対論の世界では、物質の質量はそのままエネルギーに変換できました。
計算では1円玉の質量の中に100ワット電球を数万個も灯すことができるほどのエネルギーが内包されていることになります。
しかしこれはあくまで「理論上」の話で、実際にエネルギーを取り出す方法はありませんでした。
ところが・・・
1932年に中性子が発見され、シカゴ大学のフェルミは一番重い元素のウランに中性子を当てると吸収されてより重い「新たな元素(超ウラン)ができるだろうと予測しました。
しかし、ドイツのオットーハーンは逆の可能性を創案します。彼は中性子の衝突によってウラン原子核が破壊され、ウランより軽いラジウムができるのではないかと考えたのですが、実験で生成されたのは重さが約半分の「バリウム」だったのです。
この報告を受けたオーストリアのリーゼ・マイトナーは、
これはウランの原子核がほぼ半分に割れたのだと考えました。そしてその反応の前後の質量変化から、
これまでの化学反応とは桁違いのエネルギーを発生することを発見します。
この現象が「核分裂」であり、核反応のエネルギー放出は化学反応の1億倍にも達することが確認されます。リーゼ・マイトナーが行った計算は全て、アインシュタインの相対論に基づく計算でした。
オットーハーンによる核分裂の成功は
アインシュタインの理論を実用化できる可能性を秘めていました。レオ・シラードは純粋なウランの塊に中性子を照射すれば、
核分裂を連鎖的に引き起こすことが出来ることを発見し、この「連鎖反応」によって放出されるエネルギーは、途方もない破壊力を有することになるという直感から、彼は「ウラン爆弾」というアイデアを思いつき、これで特許を取るために設計図を書きました。
レオは自分の「ウラン爆弾」のアイデアが夢物語ではないことを証明するために、この設計図をイギリスの陸軍と海軍に送ります。
ある日のこと、
海軍の将校の私室に一人の青年が訪れます。名前を「ヴィクター・ロスチャイルド」と言います。イギリス・ロスチャイルド家の長男でした、彼はイギリスの諜報機関で働いていたのです。
ヴィクターは海軍将校の部屋のデスクの上にある奇妙な設計図に目を留めます。「ウラン爆弾」を命名された新型爆弾の設計図でした。
ヴィクターはその場で、この新型爆弾の開発を決意したのです。
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3時間 ·
■原爆の日 (その3)
偶然と必然
太平洋戦争を簡略化すると、次のように纏められます。
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アメリカは日本の中国における占領政策(満州国・建国など)を認めず、
日本に対して大陸からの即時撤退を要求する。これに応じなかった日本に対してアメリカは「ABCD包囲網」を展開し日本を牽制すると共に、
全面的に禁輸を行い日本を経済的に追い詰めた。
日本は日米交渉にて甲案と乙案を提示したがアメリカはこれを飲まず
代わりに事実上の最後通告となる、ハルノートを提示した。これは日本にとって到底飲める物では無く、1941年12月8日に日米開戦に至った。
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このような文章を読むと、日本もアメリカもその時々の状況に対応すべく、交渉や威圧を繰り返しながら
戦争へと縺れ込んでいったような印象を受けますが、これは「偶発的な出来事の連続が世界を構築している」という自然科学的な世界観に他なりません。
戦争は偶然では起きないのです。どの戦争にも必ず計画があります。
「ハルノートを突きつけられたから、止む負えず真珠湾攻撃に踏み切った」
何をおっしゃいますか。お前さん!
真珠湾攻撃に必要な空母や戦闘機はいつ用意したのですか?
戦争には「戦争準備」が必要です。
太平洋上でアメリカの艦船と戦う準備がなければ海洋戦争は始められません。
大型空母や数千に及ぶ艦上戦闘機(ゼロ戦)を、1日2日で用意できますか?
何年も前から戦争準備が進められていたのです。つまり「戦争計画」があったと言うことです。
ここではっきりと明言しておきますが、
歴史に残る戦争は全て「ユダヤ金融連合」の画策によるものです。
この「ユダ金」の親分がロスチャイルドです。
そのロスチャイルドは1900年代初頭から、キュリー夫妻やアンリ・ベクレルなどを要して、放射性物質(ラジウム)の研究を続けてきたのです。そして
同時期にアフリカの「セシル・ローズ」に投資して
ダイヤモンドとウランの採掘権を独占します。ウランの採掘権を有し、放射性物質の研究をしていたロスチャイルドが、偶然にもイギリスで、レオシラードの「ウラン爆弾」の設計図と出会った?
こんな「都合のいい偶然」を信じられますか?(苦笑)
ちなみに、
ロス茶はキュリー夫妻に「ラジウム研究所」をプレゼントしています。
この研究所は1921年に「キュリー研究所」と改名されます。キュリー夫人亡き後、
同研究所は「ベルトラン・ゴールドシュミット」という人物が運営を仕切っていました。
彼は後に「原爆開発計画(マンハッタン計画)」の重役に抜擢されます。誰が彼を抜擢したのか?
それはマンハッタン計画の首謀者である「ヴィクター・ロスチャイルド」です。
そしてベルトラン・ゴールドシュミットの妻は、ヴィクター・ロスチャイルドの再従妹「ナオミ・ロスチャイルド」でした。
このベルトラン・ゴールドシュミットが「国際原子力機関=IAEA」の創始者であり、
米国原子力委員会(AEC)の初代委員長でした。
ゴールドシュミット一族はその後も原子力産業界の中で特別な地位を保持し続けているようです。
例えば2004年度のIAEAの組織図では「保障措置局」という部署の事務次長に「ピエール・ゴールドシュミット」の名前が確認できます。
https://jn-hrd-n.jaea.go.jp/material/iaea/IAEA.pdf
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8分 ·
■原爆の日 (その4)
「アインシュタイン=シラードの手紙」と原爆地上爆発説。
まず始めに・・・・
「アインシュタイン=シラードの手紙」の解説文には必ず次のような一節が読み取れます。
「アインシュタインがフランクリン・ルーズベルト大統領宛に送った手紙が切っ掛けとなり、
アメリカは原子爆弾の開発に着手したのです。」
上記の文章の「2つの嘘」を指摘しておきます。
1)この手紙を書いたのはアインシュタインでもレオ・シラードでもない。執筆者は「ヴィクター・ロスチャイルド」である。
2)原子爆弾開発計画はアメリカ合衆国の軍事計画でない。これはロスチャイルドとその仲間たち(ユダ金)による世界支配計画である。
以下に手紙の全文を紹介します。
(カッコ内の番号は筆者による整理番号です)
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閣下、
1)原稿として私のところへ送られてきました E・フェルミと L・シラードによる最近の研究は、ウラン元素が近い将来、
新しい重要なエネルギー源となるかもしれないという期待を私に抱かせます。 このことによりもたらされる状況のある点は、
注意深く見守り、必要とあらば、政府当局による迅速な行動を起こす必要があるものと思われます。 よって、
以下の事実と提案とに閣下のご注意を促すのが私の務めであると考えるものです。
2)過去4か月の間に、フランスのジョリオ、またアメリカのフェルミとシラードの研究によって、
大量のウランによる核連鎖反応が有望なものとなってきました。 このことによって、極めて強い力と、
ラジウムに似た大量の新元素とが生成されるでしょう。
これが近い将来に成し遂げられるのは、現在、ほとんど確実なことであると思われます。
3)またこの新たな現象は爆弾、それも、あまり確かとは言えないのですが、
考えられることとしては
極めて強力な新型の爆弾の製造につながるかもしれません。
船で運ばれ港で爆発すれば、この種の爆弾ひとつで、港全体ならびにその周囲の領域を優に破壊するでしょう。 ですが、また、
こうした爆弾は航空機で運ぶにはあまりに重過ぎることがわかるかもしれません。
4)合衆国には、ほどほどの量でごく貧弱な質のウラン鉱石しかありません。
カナダと旧チェコスロバキアにはいくつかのよい鉱石がありますが、
最も重要なウランの供給源はベルギー領コンゴです。
5)この状況に照らして、閣下は、政府と、アメリカにおいて連鎖反応を研究している物理学者のグループとのより継続的な接触を保つことが望ましいとお考えになるかもしれません。
これを達成するための、ひとつのありうる方法は、閣下の信頼にたる、そしてまたおそらくは非公式な地位で働くことのできる人物に
この仕事を託すことでしょう。 この人物の仕事は以下のようなものとなるでしょう。
a) 今後の開発の情報を政府機関へ逐次伝え、また合衆国へのウラン鉱石の供給を保障する問題に特に注意しつつ、
政府の施策に対しての提案を行い、政府機関への接触すること。
b) もし資金が必要なら、この目的に貢献しようと望む民間人との接触を通じてその資金を供給することにより、
またおそらくは適切な設備を持つ企業の研究所の協力も得ることによって、
現在、大学研究室の予算の制限内で行われている実験研究の速度を上げること。
6)私の知るところでは、実際ドイツは、ドイツが接収したチェコスロバキアの鉱山からのウランの販売を停止しています。
こうした、いち早い行動をドイツが取ったことは、おそらくはドイツ政府の外務次官フォン・ヴァイツゼッカーの子息が、
現在ウランに関するアメリカの研究のいくつかを追試しようとしているベルリンのカイザー・ヴィルヘルム研究所に所属していることを根拠として
理解できるでしょう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
まず最初に注目すべきは(4)の内容です。
ここには次のように書かれています。
「合衆国には、ほどほどの量でごく貧弱な質のウラン鉱石しかありません。
カナダと旧チェコスロバキアにはいくつかのよい鉱石がありますが、最も重要なウランの供給源はベルギー領コンゴです。」
理論物理学しか脳の無い男が、
なぜウラン鉱石の埋蔵&採掘事情に精通しているのでしょうか?
ベルギー領コンゴのウランを推薦してますが、アフリカのウランは全てロスチャイルドの所有です。
そして(3)の文章が、「
原爆地上爆発説」の根拠となっているようです。
「またこの新たな現象は爆弾、それも、あまり確かとは言えないのですが、考えられることとしては
極めて強力な新型の爆弾の製造につながるかもしれません。
船で運ばれ港で爆発すれば、この種の爆弾ひとつで、港全体ならびにその周囲の領域を優に破壊するでしょう。 ですが、また、
こうした爆弾は航空機で運ぶにはあまりに重過ぎることがわかるかもしれません。」
この段階で原爆の全体像をイメージできたのはウラン爆弾の設計者であるレオ・シラードと、
その設計図を見たヴィクター・ロスチャイルドだけです。
「航空機で運ぶにはあまりに重過ぎる」という記述は、初期の原爆(つまりウラン爆弾)が多くの減速材を含んだ低速中性子による
天然ウランの連鎖反応を基軸に設計されていたことに由来します。
「天然ウラン」とはザクっと言えば地中から掘り出したままのウランのこと。
成分の99%が核分裂しないウラン238なので、
これで爆弾を作ると不要な鉱石が詰まったクソ重たい鉄の塊になるわけです。
マンハッタン計画の始動後は、高性能遠心分離器が開発され、純度の高いウラン235が得られるようになり、
爆弾の予想総重量も半分以下になりました。
(5)から後の文章は、
ヴィクターが大統領に向けた内容でしょう。
「私が出資するから安心しろ」「困ったときはいつでも言え」「金は無限にある」「企業も大学も私の私物だ」「何でも相談しろ」と、
米国内での原爆開発計画(マンハッタン計画)を認めさせる目的で書かれた文章だと思います。
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記事の連載はあと2~3回ほどで終わりますが、
原爆地上爆発説に触れるのは今回だけです。
地上爆発を主張する人たちは、何の根拠もなく喚いているだけなのだと、数年前に気づきました。
原爆は重たいから航空機に積めないと信じている。
(広島原爆の重量は約4トン。B29の最大積載重量は9トン)
史実を覆すだけの資料がない。
地上爆発を証明する証拠がない
空中爆発より地上爆発の方が破壊力があると思っている。
内容がチグハグ過ぎて小説にもなりません。
ちなみに「エノラ・ゲイ」の飛行記録は公開されています。
https://ermjp.com/hiroshima/photo/why/body.html
Zoo Taku
1日 ·
■原爆の日 (最終回)
カバラ・デザイン
ユダヤの行動計画は全て「秘密の数字」で刻まれている。
原爆投下=8時15分
終戦 =8月15日
数字(時間)と数秘に関しては
タクちゃんのFacebookにお邪魔して勉強してみてください☆
ありがとうございました(^o^)
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