会田さん

会田さん!もちろん仮名なのですが、
ぼくが18、19才のとき、いちばん最初に働いた栃木県宇都宮市の水道設備会社で出会った、当時65才くらい?の温和でおおらかな大先輩です♪

会田さんは酪農家さんで早朝に乳牛のお世話をしてから水道屋さんで働き、週に2回ほど夕方に民謡教室で歌を教える先生でもありました、

一緒の現場でいっぷく(休憩)のじかんには、会田さんの奥さま手作りのお惣菜やご自宅分用の畑でとれたスイカやイチゴ、焼き芋も振舞ってくださいました♪

ある夏の3時のいっぷくに、会田さんはいつものように
「菅原くん(ぼくの名前)これ食べっけ?(栃木弁)」
とプラスチック製のタッパー容器に入った煮物を、ぼくの目の前に差し出して言いました、

夏の、この暑い日の3時の煮物は大丈夫なのだろうか...

「いただきます!いつもありがとうございます!」

元気よくそう言って、具材の中でいちばん安全そうなこんにゃくを、とりあえずお箸でつかみ、会話が盛り上がってなかなか食べることができないでいるテイで、会田さんが口に入れるのを待ちました、

すると会田さんは、ぼくがいちばん危険だと踏んでいる厚揚げをもぐもぐして、一時停止したあと、ぺっと吐き出し、
「いくらか酸っぺぇな?」

と言ってニコニコしています♪、そうです会田さんは細かいことは全く気にしない方なのです♪

その時は道路にある水道の太い管の配管をしていました、

そういう現場はだいたい班長がユンボ(地面を掘る重機)に乗り、中堅、若手が配管や埋戻しをして機械で転圧(土を締め固める)をします、

年配の職人はダンプの運転手をして掘り上げた土(発生土)を骨材屋(砂や砂利の販売所)まで運び、
そこで砂や砂利に交換して現場に戻り、
また掘り上げた土で満載になったダンプに乗り換えて骨材屋⇆現場の繰り返し、そんな感じです

いつものように会田さんがダンプで骨材屋さんと現場の往復をしていて、班長が
「ラスト1台、砂利お願いします」

会田さん
「砂利ね!はーい♪」

埋戻しの作業をしながら会田さんの帰りを待っていると、

見たことのないダンプが現場の中に入ってきました

みんな
「えっ何っ?」
「あれっっダンプから会田さん降りてきた」
「会田さん、ダンプどうしたの?」
「ダンプ壊れちゃったの?」

ドアに知らない会社の名前が書いてある...

会田さん
「えっ なにがぁー?」

班長
「ドア見てみなよ!」

会田さん
「あれ...」
「そういやぁ バックミラーに見たことねぇ御守り付いてんなって思ったんだよ...」

どうやら骨材屋さんで砂利を積んだ、他社のダンプを間違えて乗って来てしまったみたいです...

当時、ポケベルが主流で携帯電話はほとんど普及していませんでした、
当然現場で持っている人もいないので、骨材屋さんと連絡を取る方法は、公衆電話を探して分厚いタウンページから番号探して.......

または、すぐ骨材屋さんに戻るかです、

班長
「会田さん!すぐ戻って乗り換えてきて!」

会田さん
「おれ、もう歌教えに行かなきゃいけねぇからよぉ」
「今から行ったら間に合わめぇ」

班長
「えっ今日、歌教えの日だっけ?」

会田さん
「うん」

班長 
「じゃあー、菅原(ぼくの名前)悪ぃんだけど、急いで行ってきて」

そんな、針のむしろ確定!かつ、いかり散らして待ち構える栃木のチンピラーノ先輩(他社のダンプ運転手)に詰められる上に、受け答えにミスったら、しょっ引かれるかもしれない可能性を孕んでいる案件に、

圧倒的に経験値の足りてない18、19才の兄ちゃんを放り込むなんて...あぁ...

ぼく
「はっ はい、行ってきます」

骨材屋に到着すると

栃木のチンピラーノ先輩が
「うちのダンプ盗まれちったんだよ!」
「見つけたらブッ○してやる!」

はい、容疑者(ぼく)登場!

栃木のチンピラーノ先輩
「お前か、この野郎!」
「ふざけてんじゃねぇぞテメぇ!」

やっと見つけた怒りの矛先に、
デカい声で怒鳴り散らし、自分に酔い始めた栃木のチンピラーノ先輩に言い訳はいけません、

ぼくは、壊れたおしゃべりロボのように、何を言われても
「すいません」「すいません」「すいません」

常日頃のうっぷんやら何やら全部乗せ、
気持ち良く怒鳴り散らし、最後の高まりを迎えてスッキリガスが抜けた、賢者タイムの栃木のチンピラーノ先輩は

「本気(まじ)最悪!!」
と吐き捨てた言葉とは裏腹に、恍惚の表情でダンプに乗って行きました。

おしまい^ - ^

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