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子供の頃

私は子供の頃、無口で女の子が苦手で、いつも壁のない男の子と基地を作ったり、カードゲームしたり、走り回ったりと言葉足らずで不器用な子供でした。

中学生になると男女を互いに意識し始める年頃になり、私は読書と音楽に没頭していて、お昼休みも机から離れず、ひたすら自分の世界に入っていました。今で言うと陰キャラと言うやつですね。

現在の私と出会った人は嘘でしょっと口を揃えて言いますが…笑

部活は学童行ってた時に得意だった卓球へ!中学2年で勉強と両立出来ないからとかで理由つけて辞めちゃって、静かな友達と(今でも親友であり同業職)二人で歌詞を書いたりバンド組も!と言ったり夢を語っていました。この頃少し明るくなってたかな??イメージ的にはムッツリさんって感じです。。

勉強も全くしてないまま、高校生になって、即バイトを始めました。

母と二人暮らしだったのでこの頃から早く働かなくちゃ!!って思いが強かったかな~学生である自分をあまり受け入れていなかった。

制服も好きじゃないし、勉強も好きじゃないし、早く大人になりたいって思ってたの。

でもここで最強の友達に出会ったんだよね。

身長の高いヤンキーみたいな女の子(笑)

彼女の名言で忘れられないのが「なつみは私のもの、なつみのものは私のもの、私のものは私のもの」。え?!ジャイアンやんって思うよね!笑

でも彼女はいつも明るくて、よく喋って、よく食べて、喜怒哀楽も激しくて…笑

側にいて見てるだけで笑顔になれてたんだよね。

恋愛も激しくて、、、いや可愛い女の子だったなぁ。また、転校してきた女の子もある意味素敵で彼女も後に最強の友達となる。

そして他のクラスにいた、女の子との出会いも素敵なものとなる。この子のおかげで文化祭とかのステージで陰キャラ、ツンツンだった私がギター引いて歌う事が出来たのだ。

今出てきた友人はもう素敵なママとなっている。改めて尊敬しちゃうなぁ。

何にしろ、きっかけはすぐ側にある。

そのチャンスに飛び付くのも、見逃すのも決めるのは自分。

待っているだけでは何も来ない、自分から話題を見つけて、共感し、歩み寄るコミュニケーションの仕方を学んだかな。とふと思った。

徐々に人見知りを克服した高校生の自分はバンドマンになる!と夢見ていました。が、バンド組んで文化祭で吉井和哉さんの「callme」を歌った時にベースの子が当日やらかして学校来れなくなり、ドラムとギターボーカルでやることになり緊張が止まらずアルペジオミスるは喉も開かず裏声なってでボロボロでみんなお口ポカーン状態。文化祭終わって練習した日々を思いだし悔しくて泣きながら雨のなか近所の土手を走ってたなぁ。

ここからある意味精神崩壊してオープンな人になったのかも!笑

思い出すなぁ。。

この高校生の友達との出会いも人生で大きかったけど更に今も社会人となって生かされてる経験はバイトにあったのね。

次回はバイト経験について綴ります。

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