見出し画像

2.隔離病棟で悪戦苦闘

2-1.ICUから解放されはしたものの

8月25日。僕はようやくICUから普通病棟の個室に戻りました。個室での入院生活はどんなものか?朝の起床時間は6時。とはいえ6時に特に何かあるわけではないです。病室の室内灯がつき、看護師さんがバイタルチェックのために、順次病室を回りはじめるだけ。体温、血圧を測り、身体に異常がないかを聞かれる。ちなみに血中酸素濃度モニターはずっと指先につけていて、一日中チェックされています。うっかり外してしまって、数値が出なくなると看護師さんが飛んできます。朝食は朝8時頃なので、看護師さんとのやりとりが終わったら、二度寝してしまってもOKです。

しかし実際には、僕は入院中ずっと、睡眠がうまく取れませんでした。そもそも長年の一人暮らし。常に周囲に他人がいることに慣れていない。他人の気配があると眠れないんですよ。寝酒を飲めるわけでもないしね。機械音鳴り響くICUでは、睡眠薬が欠かせませんでした。個室では気分的にはるかにマシになりましたが、それでもやっぱり眠れない。特にICUから出て最初に使って頂いた酸素の機械は、ゴーゴー音がうるさくて高熱を発している。下手をするとチューブ内から熱湯が吹き出して鼻に流れ込む!眠れないどころか危ないですよ。

最初の数日で肺が少し回復したこともあり、酸素マスクを簡易なものに変えて頂きました。「これでやっと眠れるわ!」ところが夜になってみるとやっぱりダメ。慣れない場所で酸素マスク、両腕には注射針、指先には酸素濃度計、さらにオシッコの管にオムツ。眠れるわけないんですよ。仕方がないのでICUに引き続き、睡眠薬をいただく。それでもぐっすり深い睡眠は無理で、明け方にうっかり目が覚めてしまうと、二度寝はまず不可能です。ひたすら退屈しながら朝6時を待つしかない。6時になれば起床時間を過ぎて、ゴソゴソしててもまあ許されますからね。そして8時になればスタッフさんが増えてきて、いろいろ頼み事もしやすくなる。

朝食は朝8時。昼食は12時。夕食は18時。それぞれに食後のお薬。その間に各種の検査や診察、というのが個室での生活でした。診察は複数の先生がおり、よく覚えられない。僕は退院直前になって、ようやく誰が主治医なのか分かったくらい。みなさん最初に自己紹介してくださるけど、実は看護師さんや理学療養師さんなども全員名乗られる。最初に病室に来たときに「看護師の●●です。これから何時まで担当します。よろしくお願いします」などと言ってくださる。丁寧なのはありがたいけど、皆さん毎日シフトで入れ替わる。申し訳ないけど、数が多すぎて全員のお名前を覚えることは難しい。

そして個室の中でも、僕はほとんど動けない。酸素やら注射針やら導尿やらのチューブが絡み合い、鎖に繋がれたも同然で、ベッドの横に立ち上がるのが関の山。しかも病室の中で立ち上がっていると、看護師さんが驚いて飛んでくる。「どうしましたか?」いや、どうしたった、退屈やから立ってみただけ、廊下の様子とか見てただけなんやけど・・・。「危ないからリハビリの時以外はベッドから離れないでください!」「スタッフがいないときに動かないでください!」すみません。病室内を自由に歩き回るとか、まだまだ先の話なんですね。

先が見えない入院生活。だからこそ僕は、ICUから解放されたこの時に、いくつかのことを考えました。誰よりも早く回復して、サクッと退院するためには何が必要か?「早く治す!」というモチベーションを保つにはどうしたら良いか?そのひとつがスマホの活用です。メール、メッセージだけではなくインスタのストーリーを使う。写真とテキストを投稿でき、本編投稿と違って、投稿後24時間で自動的に消えるからね。友人たちに様子を知らせたいので、僕本人の顔出しもやる。顔出ししても24時間で消えるから後腐れがない。そのうえで先に書いたウイルス学者のSさんはじめ、一部の人たちと、毎日メッセージをやりとりする。これ、精神的に大変に助かりました。退屈で参ってしまいそうでしたからね。

2-2.垂れ流しは生命の戦いなのだ!

個室に戻って2日目、導尿チューブをはずしてもらう。この導尿というのは不思議な感覚で、尿意を覚えると同時に、体内でそれがすっと消えていきます。チューブで勝手に排泄されるからですね。楽といえば楽なのですが、やはり体内に管が入っているのはストレスです。導尿がなくなったので、ここからの排尿はベッドサイドの尿瓶を使います。部屋にトイレはあるのですが、普通にトイレに入れるようになるのはまだまだ先。個室で倒れたら大変ですからね。当面は尿瓶にオシッコをして、そのつど看護師さんに来てもらい、尿の色と量を確認のうえ、トイレに流してもらいます。

大便はオムツで「垂れ流ししてください」と言われたのですが、こちらはほとんど出ない。そもそも普段から垂れ流しなんか慣れていないからね。個室での最後の数日は、ほぼ毎日が排便との戦いでした。便秘になったら厄介なので、下剤をもらって朝食後に飲む。お昼過ぎくらいに薬が効いてきて、うまく出そうになったら急いでオムツを脱いでオマルに座る。オムツにするより、オマルの方がまだ出やすいんですよ。うまく出なかったらまたオムツを履いてベッドに逆戻り。うまく出たら看護師さんに報告して、確認後にトイレに流してもらう。ウンチひとつで毎日気が重い。人間ね、何かひとつでも調子が狂ったら、そんなふうにガタガタになるもんなんですね。まさにウンコタレの戦い。

しかしそれでも僕は、なんか清々した気分でしたよ。インスタでこんなテキストを流しました。「恥ずかしいことは何もない。これは生命の戦いなんだ。便秘で苦しい赤ちゃんが大泣きする。親が綿棒で肛門をこすってあげる。その刺激で赤ん坊が排便する。素晴らしいことじゃないか。大人でも同じことだ。僕はいまオムツをつけて、堂々たる生命の戦いをしているのだ」ああ。普通にものを食べて、排泄し、立ち上がり、座り、横になる。そういう普通の生命の営みのすべてが、どれだけ尊いことか。どれだけありがたいことかがしみじみ分かる。生き物なんだから生命の戦いをするのは当然。胸をはって堂々と戦えばよいのだ。

実際に僕はこのことをきっかけに、闘病している人を見る目が変わった気がします。病院で歩行器押したり、点滴のタワー押しながら、よろよろ歩いている老人を見かけますよね。以前はただ気の毒だなとか悲惨だなとしか思わなかったけど、あれはみんな生命の戦いをしているんだ。最後の最後まで頑張って自分の運命を生きようとして、必死の戦いをされているのだ。そうに思うと凄い敬意が湧いてくるのです。個室に戻って3日目、僕はやっと窓際に近づくことができました。窓際に洗面台があるので、まず伸び放題の髭を剃ってさっぱりする。ついでに窓際の椅子に座り、外の景色を黙ってずっと見ている。住み慣れた街のすぐ近く。ウォーキングで巡っていた河川公園も見える。かなり遠いけど人影も確認できる。ほん数週間前には、あの川べりで走ったりしていたのにな。元に戻るのに、どれくらいかかるんやろ?


2-3.大部屋で酸素ボンベと友だちに

ICUで疲労困憊したから、しばらく個室でのんびりしよう。僕はそう思っていたのですが、個室生活はわずか5日で終了しました。8月30日、今度は軽症患者のための大部屋に移動。「重症のベッドが足りない。あなたは一番回復しているから、ベッドを譲ってあげて欲しい」と言われたら、嫌だなんて言えません。僕の引っ越し先は4人部屋でした。「コロナで大部屋?」と違和感を感じる方もいるでしょう。お互いのベッドは隔離のビニールもなく、カーテンで区切られているだけです。でもまあ大丈夫なのでしょう。患者は全員すでにコロナに罹患し、ウイルスも消えて免疫があるわけですから。スタッフさんは完全防護ですが、患者同士は普通にマスクだけです。

大部屋ではベッド周りも狭くなりました。個室にいた僕はまたもストレスフルな環境に逆戻り。他人の気配や話し声で眠れません。おまけに同室には外人までいて、片言の日本語で話しているのが聞こえます。そしてここで問題になったのは血中酸素濃度モニターです。血中の酸素濃度を測ってくれる小さな装置で、個室では有線で繋がれていましたけど、大部屋では無線になる。無線になると電波を飛ばす送信機が必要になる。電卓くらいの大きさでバッテリーが入っていて重い。指先にモニターをつけ、この送信機を、四六時中ずっと持っていなくてはならないのですよ。病衣にちょうど良いポケットはありません。ビニール袋と紐で、即席の袋を作って頂きましたが、首にかけていると肩が凝ります。

そして何よりも酸素ボンベ。これが大部屋の最重要アイテムになりました。個室では病室から出ることもなく、酸素などのセッティングも全部、看護師さん任せでした。しかし大部屋ではそんな甘えは許されません。酸素流量計やボンベの扱いを習って、全部自分でできるようにするのです。ベッド横の壁に酸素の供給口があり、そこに流量計を差し込む。流量計とは文字通り酸素の流量を示すもので、ガラスの筒の中に白い玉が浮かんでいる。バルブをゆるめて酸素をたくさん出すと、白い玉は高く浮かぶ。酸素を減らすと低く下がる。この装置でお医者さんに処方された量の酸素を加減して、酸素マスクや鼻チューブで吸う。そうやって呼吸を確保しながら、リハビリを重ね、ひたすら肺の回復を待つのです。

酸素はベッドにいる時は、壁の供給口から吸います。しかし移動するときは酸素ボンベが必要です。大部屋では比較的自由にベッドから離れることが許されますが、そのためにはまずボンベの確保です。ボンベは4人部屋に2本くらい?酸素を使わない患者さんもいるので、数として不足はありませんが、独占できないので、どこにあるのかを探さなくてはなりません。壁からの酸素チューブを最大に伸ばしして、大部屋の中を探す。うまく手が届くところにあればラッキー。なければ酸素チューブを一瞬外して取ってくるか、看護師さんにお願いするしかない。

酸素ボンベは重い金属の塊で、ゴロゴロ移動できるようにキャリーがついています。壁からの酸素を吸いながら、それらをセットアップし、ボンベの酸素に切り替えたら出発です。出発してどこに行くかって?病室の窓ぎわまで行って、外の景色を見るのです(笑)。または病室から出て、許可された範囲だけ、廊下を歩いて戻ってくるのです。酸素ボンベを押しながら廊下を歩く。これは良いリハビリにもなります。スマホは個室では使い放題でしたけど、大部屋では無理です。廊下の端にはスマホを使って良い場所があったので、そこまで移動して電話をかけ、メールやメッセージを送る。これが僕の外部との唯一の接点になりました。僕につけられた腕の注射針などは日を追うごとに減っていきましたが、酸素だけはずっと一緒。退院後もしばらくは酸素ボンベのお世話になったのです。 

酸素についてもう少し書いておきましょう。ネットで出回っている「コロナの軽症・重症の区別」。軽症は「酸素はいらない」とある。これ僕は最初は意味が分かりませんでしたよ。自分が重症化するまでは。同じコロナにやられても、酸素が必要かどうかで大違い。まさに軽症・重症の分かれ目になって納得。患者の負担が決定的に違うのです。酸素そのものは、もちろんありがたい存在ですよ。肺をやられたら、酸素を吸わないと脳細胞がどんどん死にます。しかし酸素のお世話になるということは、それだけ深刻に肺が壊れていることを意味します。いくら治療が効いて免疫異常が収まったとしても、いきなり酸素吸入ゼロになんてできません。たちまち呼吸困難で倒れてしまいます。そして肺の回復には長い時間、数ヶ月単位の時間がかかります。

つまり「重症=酸素が必要」ということは、その場だけでなく、その後数ヶ月単位で、経過次第で退院後も、酸素ボンベが必要ということです。自宅に酸素ボンベを常備し、外出時にはボンベを運ばないといけない。体力的にも精神的にも、そして経済的にも大変な負担です。どうですか?軽症ならば最初から「酸素はいらない」です。これらの手間が全部不要になる。まさに軽症・重症の区分けにしておかしくない、大きな違いがあるわけなんです。

2-4.少しずつ日常に戻っていきたい

8月30日の大部屋への移動をきっかけに、僕は心機一転することにしました。まずはオムツを止めました。すでに個室でもオムツはパンツ代わりに履いていただけなのですが、普通の下着に戻します。同時に病衣のレンタルも停止。知人にお願いしてユニクロの上下をいくつか差し入れしてもらいました。ついでに欲しかった手鏡やグルーミング用品と現金も。大部屋では自分が売店に行けない代わり、看護師さんにお願いすれば買い物をしてきてもらえました。フリカケ、ごま塩とか無糖の飲み物とかですね。しかしATMが使えないため、手持ちの現金が心細くなっていたのです。着衣が普通になると気分は大きく変わります。大部屋での排泄は、最初は尿瓶とオマルでしたけど、数日でトイレ個室の使用許可を貰いました。ただしトイレに行くときは、ナースコールで声をかけ、用を足したらまた報告するのが決まりです。中で倒れたら困るからね。

ところが今回の大部屋のトイレは、使用不使用の表示がおかしくて、不使用でも「使用中」と出てしまう。これもストレスでした。トイレの扉はベッドから見えるけど、パッと立ち上がって近づくことはできません。酸素のチューブが届きませんからね。まずトイレが使用中かどうか確認してから、酸素ボンベを確保し、酸素を切り替えてトイレに向かう。ここで表示がおかしくて、やっぱり使用中だったりするともう最悪。諦めてベッドに戻るか、別のトイレまで遠征するかを考えないといけない。そもそも一人暮らしの人間は、日頃からトイレなんか、いつでも使えて当然と思っている。そりゃストレスもたまりますわ。

ちなみにこちらの病棟にはシャワー室があり、トイレ個室の使用と同時に、シャワーも許可されました。これはとても嬉しい。30分という時間制約はあるけど、久しぶりにお湯で身体をほぐします。身体中が変に凝っているのが分かる。こりゃ退院したらまずマッサージやな。しかしですよ。そもそも8月とはいえ病院内は冷房完璧。さらにこちらは高齢で汗もかかない。寂しいことですが、若い頃みたいな強い体臭がないんですよ。それにどこに行くのも酸素ボンベが一緒。シャワー室の中までとなると、気が重い。初回、二週間ぶりのシャワーは確かに爽快だったけど、その後、特に毎日入りたいとは思わない。しかし不思議なことに看護師さんは僕らを、なぜか風呂に入れたがる。まったく臭くないと思うんだけどな。風呂にでも入れておかないと間が持たないのだろうか?

そんなわけで大部屋で、酸素とステロイドの投与を受けながら、リハビリを続けていた僕ですが、今度は別の問題が発生します。9月2日(木)のCT検査で、軽度の気胸が発覚したのです。肺に穴が空いて空気が漏れている状態を「気胸」といいます。これだけを聞くと恐ろしい状況みたいですが、気胸そのものはよくある病気で、本人が気づかぬうちに気胸になり、気づかぬうちに勝手に回復することも多いようです。そしてコロナ患者が気胸になることも珍しくない。せっかく調子が出てきていたリハビリは中止。ベッド上安静を言い渡されました。振り出しに戻ったみたいで残念でした。

しかし希望もある。翌日、9月3日から始まったPCR検査です。PCR検査で2回連続して陰性になれば、僕は隔離病棟から抜け出せる。抜け出すといっても一般病棟に移るだけですけど、自由度が全然違います。隔離病棟は隔離されているので、患者は院内の売店に行くことすらできません。外部からの差し入れはOKだけど、たとえば洗濯物を持ち帰ってもらうなんてことはできません。PCR検査は唾液でした。毎日、午前中に容器に唾液をためて提出します。しかし中々2回連続陰性となりません。主治医いわく「PCR検査は死んだウイルスの破片でも反応してしまう」「感染している状態ではないが、体内にウイルスの死骸が残っていて、排出されているからだろう」それにしても陰性の後が陽性だと、またやり直し。毎日唾液検査というのも、先が見えなくて嫌になってくる。こんなこといつまでやってるんやろ?

この気胸ですが、その後3日ほど安静にしていると、「消えた」そうで、リハビリ再開となりました。そして9月5日には血糖値管理がついに終了となりました!どういうことかと言いますと、僕はステロイドを投与されていたのですが、そのため血糖値が上昇しやすくなるので管理が必要。朝食前と各食後には血液を取って、ずっと血糖値をチェックされていたのです。腕に注射針があった時は、そこから血を抜いて確認していた。腕の注射針がなくなった後は、ホッチキスみたいな器具で指に穴を開けて血を出して、デジタル体温計みたいな機械で数値を測る。何気に鬱陶しいことでした。痛み自体は、強いデコピンや静電気ぐらいですが、毎日延々と続くのが面倒でした。

ステロイドの投与が終わったので、血糖値管理も終了。ということは?この煩わしい毎日のチェックが終わるだけではありません。自由に甘いものを食べてもOKになったんですよ!さっそく知人に焼き菓子・プリンなどの差し入れをお願いする。翌日、病室に届いた焼き菓子を食べて僕はまさに悶絶しました。焼き菓子ひとつがこんなに甘いのか!ひとかけらで甘さが全身に広がり、いつまでも持続する。刑務所から出てきた人がやたら「甘いもの」を食べたがる。その気持ちが分かった気がしました。同時に僕たちは日常、どれだけ味の濃いものを食べているのか!ということでもありますね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?