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桃太郎に見る「正義とはなにか」

桃太郎について考察してみる

桃太郎は、知らない人がいないでしょって断言できるレベルの国民的昔話ですが、最近気づいたことがあるんです。
それは、「桃太郎って、直接鬼の被害にあったわけじゃなくね?」ということ。

桃太郎のお話はたくさんあるので、青空文庫から抜粋してみることにします。

桃太郎は十五になりました。
 もうそのじぶんには、日本の国中で、桃太郎ほど強いものはないようになりました。桃太郎はどこか外国へ出かけて、腕いっぱい、力だめしをしてみたくなりました。
 するとそのころ、ほうぼう外国の島々をめぐって帰って来た人があって、いろいろめずらしい、ふしぎなお話をした末に、
「もう何年も何年も船をこいで行くと、遠い遠い海のはてに、鬼が島という所がある。悪い鬼どもが、いかめしいくろがねのお城の中に住んで、ほうぼうの国からかすめ取った貴い宝物を守っている。」
 と言いいました。
 桃太郎はこの話をきくと、その鬼が島へ行ってみたくって、もう居ても立ってもいられなくなりました。

ー楠山正雄「桃太郎」より抜粋

血気盛んな桃太郎は、山里で持て余していた。
桃太郎は人づてに聞いた話を鵜呑みにした。
その話を口実に、鬼が島征伐を思い立った。

てことか・・・。
現代でも、世界各国で、身の回りで、また、ネットの世界でも、似たようなことがありますね。
結局桃太郎は、鬼をボコボコにして、命を奪わない代わりに彼らの財宝をぶんどり、ドヤ顔で凱旋する・・・のは、有名なオチ。
この話では、以下のような桃太郎のセリフで締めくくられています。

「どうだ。鬼せいばつはおもしろかったなあ。」

もっと俯瞰して描かれた桃太郎

もう少し青空文庫を見ていると、芥川龍之介によって書かれた桃太郎がありました。
(恥ずかしながら、芥川版桃太郎があるなんて、存じ上げませんでした!)
そこには、こう書かれていました。

桃から生れた桃太郎は鬼が島の征伐を思い立った。思い立った訣(わけ)はなぜかというと、彼はお爺さんやお婆さんのように、山だの川だの畑だのへ仕事に出るのがいやだったせいである。その話を聞いた老人夫婦は内心この腕白ものに愛想をつかしていた時だったから、一刻も早く追い出したさに旗とか太刀とか陣羽織とか、出陣の支度に入用のものは云うなり次第に持たせることにした。のみならず途中の兵糧には、これも桃太郎の註文通り、黍団子さえこしらえてやったのである。

桃太郎は、山里で持て余していたが、地味な仕事をすることが嫌だった。
だから、鬼が島征伐というド派手な企画をぶち上げた。
おじいさんおばあさんも、桃太郎には手を焼いていたから、賛成して送り出した。

日々の暮らしに不満を抱えていた桃太郎。
そんな桃太郎を食べさせることに疲れていた、おじいさんおばあさん。
鬼が島征伐は、そんな暮らしを終わらせる口実に過ぎなかったんでしょうか。

負けたら理由も教えてもらえないのか

芥川版で、ボコボコにされた鬼と桃太郎のやりとりです。

「わたくしどもはあなた様に何か無礼でも致したため、御征伐を受けたことと存じて居ります。しかし実はわたくしを始め、鬼が島の鬼はあなた様にどういう無礼を致したのやら、とんと合点が参りませぬ。ついてはその無礼の次第をお明かし下さる訣(わけ)には参りますまいか?
 桃太郎は悠然と頷うなずいた。
日本一の桃太郎は犬猿雉の三匹の忠義者を召し抱かかえた故、鬼が島へ征伐に来たのだ。
「ではそのお三かたをお召し抱えなすったのはどういう訣でございますか?」
「それはもとより鬼が島を征伐したいと志した故、黍団子をやっても召し抱えたのだ。――どうだ? これでもまだわからないといえば、貴様たちも皆殺してしまうぞ。

なぜあなたの怒りを買ったのかと聞く相手に対して、明確な理由を答えず、終いには、皆殺しにするぞとの脅し。
これでは、質疑応答になっていません。

真実はこうだった・・・かもしれない

芥川先生は、鬼が島について、以下のように描写をしていました。

鬼が島は絶海の孤島だった。が、世間の思っているように岩山ばかりだった訣(わけ)ではない。実は椰子の聳(そび)えたり、極楽鳥の囀(さえず)ったりする、美しい天然の楽土だった。こういう楽土に生を享けた鬼は勿論平和を愛していた。いや、鬼というものは元来我々人間よりも享楽的に出来上った種族らしい。
鬼は熱帯的風景の中に琴を弾いたり踊りを踊ったり、古代の詩人の詩を歌ったり、頗(すこぶ)る安穏に暮らしていた。そのまた鬼の妻や娘も機を織ったり、酒を醸したり、蘭の花束を拵(こしら)えたり、我々人間の妻や娘と少しも変らずに暮らしていた。

そして、そんな楽園で、鬼のおばあさんは孫たちにこう話して聞かせます。

「お前たちも悪戯をすると、人間の島へやってしまうよ。人間の島へやられた鬼はあの昔の酒顛(しゅてん)童子のように、きっと殺されてしまうのだからね。え、人間というものかい? 人間というものは角の生えない、生白い顔や手足をした、何ともいわれず気味の悪いものだよ。おまけにまた人間の女と来た日には、その生白い顔や手足へ一面に鉛の粉こをなすっているのだよ。それだけならばまだ好いいのだがね。男でも女でも同じように、嘘はいうし、欲は深いし、焼餅は焼くし、己惚(うぬぼれ)は強いし、仲間同志殺し合うし、火はつけるし、泥棒はするし、手のつけようのない毛だものなのだよ……

人間たちは、享楽的な鬼が嫌いだった。
楽園の噂が広まっていくにつれ、人間はこう思う。

「あんなろくでもない奴らがなんで、私たちよりいい生活してるのだろう?
きっと、悪いことをしていい暮らしをしているに違いない。」

そんな嫉妬心が、山里で持て余していた怪力の青年・桃太郎と出会ったことで、一方的な武力行使につながってしまったんじゃないか。
気に入らない相手をボコボコにするためなら、理由はなんだっていい。
叩きのめしてしまえば、負けたやつになんて、知る権利はないだろう。

ふたつの話を読み比べて、私はそう考えました。
桃太郎を考察すると、このシンプルな勧善懲悪話の中に、様々な解釈をすることができます。
結局鬼は極悪人で、桃太郎は正義の塊なのかもしれないけど、そもそも、善と悪を分かつ境界線は、定規で引くみたいにスッと引けるものなのでしょうか。

桃太郎その後の人生

ちなみに、芥川版桃太郎のオチはこう締めくくられます。

桃太郎は必ずしも幸福に一生を送った訣(わけ)ではない。鬼の子供は一人前になると番人の雉(きじ)を噛み殺した上、たちまち鬼が島へ逐電した。のみならず鬼が島に生き残った鬼は時々海を渡って来ては、桃太郎の屋形へ火をつけたり、桃太郎の寝首をかこうとした。何でも猿の殺されたのは人違いだったらしいという噂である。桃太郎はこういう重ね重ねの不幸に嘆息を洩らさずにはいられなかった。
「どうも鬼というものの執念の深いのには困ったものだ。」
「やっと命を助けて頂いた御主人の大恩さえ忘れるとは怪(け)しからぬ奴等でございます。」
 犬も桃太郎の渋面を見ると、口惜しそうにいつも唸ったものである。
 その間も寂しい鬼が島の磯には、美しい熱帯の月明りを浴びた鬼の若者が五六人、鬼が島の独立を計画するため、椰子の実に爆弾を仕こんでいた。優しい鬼の娘たちに恋をすることさえ忘れたのか、黙々と、しかし嬉しそうに茶碗ほどの目の玉を赫(かがや)かせながら。

お読みいただきありがとうございました。

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