トラウマ

2019.11.1
映画「閉鎖病棟」が公開されます。

映画はまだ観ていませんし、話の展開も知りません。

私が知っているのは本当にあった閉鎖病棟

11年前の11月、私は精神科に入院しました。

いわゆる保護入院というもので、当時独り暮らしだった私は過労の末、幻聴や幻覚が見えたり、辻褄の合わない会話をしていたようです。それを遠く離れた親が知り、どうしたらいいのか分からず、某有名大学の精神科を受診したらしいということです。

集中監視の部屋で寝たきりオムツを替えてもらった。
そんな記憶があるような。

というのは、そのあたりの事が殆ど記憶にないからです。

しっかりと記憶にあるのは「監獄」の中です。

窓がなく、便器がむき出しの部屋。

壁は木製で「早く出せ」「死にたい」「きっとあなたも出られるよ」という「これまでここにいたであろう人々」が削った文字の数々。

かなりの近視だった私。眼鏡の着用すら許されませんでした。
3日間くらいボーッとする中、運ばれてくるのは薬と食事。

部屋には監視カメラがあったのでしょう。
排便が済むと部屋の外から誰かの足が見えて、それを流すようすが見えました。

そこが閉鎖病棟の中でも重度の隔離病棟だった事を知ったのは随分後のことです。

隔離病棟にどれくらいいたのか分かりませんが数日ぶりのメガネと入浴を許され、ようやく閉鎖病棟に移りました。

てんかん、統合失調、躁極性障害、うつ、パニック障害、アルコール依存、薬物依存…

閉鎖病棟には色んな人たちがいて、怖かったし、どうして私がこんな景色を見なくてはいけないのかと凄い悲しみに襲われました。

「退院したい」と何度も願っても外泊の許可が何週間かに1度出るだけ。

その初めての外泊。

隔離や閉鎖に慣れてしまった私は、家族に付き添われて乗ったタクシーから見る景色にも恐怖を感じたことを覚えています。

私は約半年、20代の一番輝く時期に暗闇の中にいました。

そして地元に帰り、当時を全く知らない人たちと何もなかったように「健常」を演じて今日があります。

今では親しい友人数人に「カミングアウト」する程ですが、皆に知ってほしいとは思いません。

閉鎖病棟にいた半年で傷ついたことがあります。

それは施設に貼ってあった「人権擁護」の紙。
私は、当時「危険な人」だったのかもしれませんが拘束されたり入浴を禁止されたり屈辱的な思いをしました。

人権の相談を電話でしてみようかと思うという主旨の話を主治医にしたときの事です。
「どうぞご自由に。でもあなたは負けますよ。誰もあなたを助けません。どうぞ主張すればいい。私たちドクターに勝とうとかいう思いを持つなんて、もっと強いクスリを処方した方がいいほうがいいですね。」

これは忘れられない一言です。

発達障害や精神障害がこの11年でオープンになってきていると感じています。

記憶は変えれませんし、過去にも戻れませんが、前を向いて強く生きていきます。

私は、私。
誰でもない、私を認めて信じて前を向いて、そして胸を張って生きていこうと強く思います。

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